やそむら‐ろつう【八十村路通】
八十村路通
やそむらろつう
八十村氏。露通とも。近江大津の人。三井寺に生まれ、古典や仏典に精通していた。蕉門の奇人。放浪行脚の乞食僧侶で詩人。後に還俗。 貞亨2年春に入門。貞亨5年頃より深川芭蕉庵近くに居住したと見られている。元禄2年の 『奥の細道』 では、最初同行者として芭蕉は路通を予定したのだが、なぜか曾良に変えられた (路通では品行が悪いからという説と、曾良が越後村上に元主人の墓参をしたいという願望があってそれを実現させてやるための2説がある)。こうして同道できなかった路通ではあったが、かれは敦賀で芭蕉を出迎え て大垣まで同道し、その後暫く芭蕉に同行して元禄3年1月3日まで京・大坂での生活を共にする。 路通は、素行が悪く、 いわゆる茶入れ事件やら、芭蕉の著作権に係る問題*やらを出来し、勘気を蒙ったことがある。元禄3年、陸奥に旅立つ路通に、芭蕉は「草枕まことの華見しても来よ」と説教入りの餞の句を詠んだりしてもいる。 芭蕉の死んだ元禄7年ごろにはすでに芭蕉の勘気は解けたとされている。
『俳諧勧進帳』、『芭蕉翁行状記』がある。
路通の代表作
我まゝをいはする花のあるじ哉(『あら野』)
はつ雪や先草履にて隣まで(『あら野』)
元朝や何となけれど遅ざくら(『あら野』)
水仙の見る間を春に得たりけり(『あら野』)
ころもがへや白きは物に手のつかず(『あら野』)
鴨の巣の見えたりあるはかくれたり(『あら野』)
芦の穂やまねく哀れよりちるあはれ(『あら野』)
蜘の巣の是も散行秋のいほ(『あら野』)
きゆる時は氷もきえてはしる也(『あら野』)
いねいねと人にいはれつ年の暮(『猿蓑』)
鳥共も寝入てゐるか余吾の海(『猿蓑』)
芭蕉葉は何になれとや秋の風(『猿蓑』)
つみすてゝ蹈付がたき若な哉(『猿蓑』)
彼岸まへさむさも一夜二夜哉(『猿蓑』)
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