しまづ‐よしひろ【島津義弘】
島津義弘(しまづ よしひろ) 1535~1619
◇父:島津貴久 養父:島津尾張守忠親 室:北郷忠孝女、広瀬助宗養女(園田清左衛門女) 子:島津鶴寿丸、久保、忠恒、万千代丸、忠清
薩摩・島津氏一族。当主の兄義久を助け、各地を転戦武名を轟かせた。その武名を知る、日向・伊東氏との戦いに苦戦する豊州家島津忠親に請われ養子となり、その戦いを助け日向攻略に貢献する。豊臣秀吉の朝鮮出征の際には、泗川の戦いにおいて10倍以上の朝鮮軍を敗り、“鬼石蔓津”と怖れられた。関ヶ原の戦いではやむなく西軍につくが、大勢が決するや敵中突破退却した。家中の信望厚く義弘が亡くなった際は、木脇祐秀、折田和泉ら13名が後を追い禁制の殉死を遂げている。
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