さまざまな分流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:49 UTC 版)
山蔭の確立した庖丁式は、藤原北家魚名流の藤原隆季を祖とする四条家に家職として伝えられ「四条流」と呼ばれることになる。なお、山蔭も魚名流(鷲取系)であるが、四条家(末茂系)とは別流であり、系譜的には直系ではない(詳細は藤原北家の各流系図を参照)。 鎌倉時代中期に中御門流持明院基家の三男で園家を興した園基氏が、四条流を学んで別派を興し「四条園流(もしくは単に園流)」と称された(なお基氏は華道にも通じ、青山流を創始している)。 室町時代には足利将軍家に仕えた四条流の庖丁人(料理人)・大草公次(三郎左衛門)が「大草流」を、また室町時代末期には細川晴元に仕えた進士次郎左衛門尉が進士流を創始したと言われ、公家社会のみならず武家社会における料理においても、四条流の分派が浸透しはじめた。 また四条流を学んだ園部和泉守という庖丁人が三河松平氏に仕えていたが、松平元康(徳川家康)が天下人となり江戸幕府を創始すると、「四条園部流」が幕府の台所を預かることとなり、江戸時代には各藩へも普及が進んだ。
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