かいちん説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 06:11 UTC 版)
「ちん」と読む説は、「珎」は「珍」の異体字であり、「国家珍寳」を「国家珎寳」と表記していると考えられる事例がある(珎が寳の略字だとすると、別々の「ホウ」の字を重ねるという奇妙なことになる)こと、平安時代末期の歴史書『日本紀略』に「和銅開珍」(音としては間違いなく「ワドウカイチン」と読める)と書いてあること、陰陽の調和と和銅産出の祥瑞を祝福する「天下和同して、坤珍を開く」の意味と推定されるなどを根拠にしている。当時の鋳造技術では単に寳が鋳造困難だったために「珎」とされたという反論もある。いずれにせよ、皇朝十二銭の残り11がすべて寳であり、これだけが「珍」とするのがおかしいという反論も根強い。 「珎」は「珍」の異体字であることから、江戸時代の古銭書である正徳3年(1713年)の寺島良安『和漢三才図会』や文化12年(1815年)の草間直方『三貨図彙』には「和銅開珍」と記述されている。 栄原永遠男(1993)は、「珎」字を「寳」の省字とする例は「天平勝珎四年」墨書一例を除いて他にないとした。 小橋川秀男(1973)は、神功開寳が天平神護の「ジンゴ」を発音が類似し字画が少ない「神功」に代えた可能性があるにも関わらず、「開寳」を「開珎」としていない点を挙げ、また黒田幹一(1943)が当時宣命風に「わどうのひらかすたから」と呼んだかもしれぬと思うと唱えた説を引き合いに、実際にどう呼ばれたか判らないのだから現代風に「わどうかいちん(和同開珍)」と読めば良いとした。
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