小野光右衛門(おのみつえもん 1785-1858)
小野光右衛門は、天明5年(1785)備中大谷村(現岡山県浅口市大谷)に生まれ、若くして庄屋役となる。数学を好み、文化6年(1809)、大江村(現井原市)の谷東平について本格的に和算を学ぶ。師の谷東平は、大坂の麻田剛立に学んだというから、高橋至時や間重富の同門である。
光右衛門は、文化10年里見川の開墾に関連した天領の阿賀崎新田村(現倉敷市玉島)と関係25か村との間に訴訟がおきた時、問題解決のため村の代表として江戸へ向かい力を注ぐ。その後、この訴訟の解決に伴って施行された浚渫工事の測量に係わった。
在江戸中には、訴訟の合間をぬって幕府天文方渋川景佑を訪ね、その高弟山本文之進から天文・暦学を学んだ。帰郷後は、天文・暦学・和算のことから小野光右衛門の名前が広く知られるようになり、京都土御門家から入門の誘いを受けるほどであったという。
その間、新田開発や検地にもかかわったほか、嘉永7年(1854)には和算の入門書「啓迪算法指南大成」を刊行、その出版部数は1700部に及んだという。和算などの教育にも力を尽くし、岡山市吉備津神社などには算額が、金光教祖が彼から教育を受けたことの関連もあって金光図書館には測量機器・器具が残されている。
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