ある在ジャワ「台湾籍民」の物語とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ある在ジャワ「台湾籍民」の物語の意味・解説 

ある在ジャワ「台湾籍民」の物語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/08 08:50 UTC 版)

台湾籍民」の記事における「ある在ジャワ「台湾籍民」の物語」の解説

日本統治時代の台湾における台湾人閉塞感劣等感の中で暮らしていた。台中州大甲郡大甲出身の柯呆は、米穀商営み4人の子供の父親として平凡な生活送っていた。ある時息子連れて散歩していたとき、商売禁止とされていた路上野菜売っていた小農民が日本人警官打ちのめされる光景目撃した。彼は力なく息子に「見ただろう。あれが台湾なのだ」とつぶやいたその後妻子置いて当時蘭領インド渡り東部ジャワ高原都市マランわずかな縁故頼り糊口求めた刻苦精励の後一本立ちしコーヒー綿花栽培かなりの資産築いた帰国するたび家族に、ジャワ島の生活は、環境安定しており、治安もよく、しかも「日本人といえば一等国民としてどこでも尊敬されていた」と語ったという。彼は、日本人同等権利受けていたのである1939年昭和14年5月19日台湾総督府は、「皇民化工業化南進化」三大政策公布する以前台湾から蘭印はじめとする南方各地渡った台湾籍民」はこの柯呆と共通する心情をもち、同じよう期待感解放感味わいながら渡南し、現地社会に根をおろしていった。いわば日中戦争期以降国家権力命令による渡南とは異なる自然流出的な人の流れである。

※この「ある在ジャワ「台湾籍民」の物語」の解説は、「台湾籍民」の解説の一部です。
「ある在ジャワ「台湾籍民」の物語」を含む「台湾籍民」の記事については、「台湾籍民」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ある在ジャワ「台湾籍民」の物語」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ある在ジャワ「台湾籍民」の物語」の関連用語

1
36% |||||

ある在ジャワ「台湾籍民」の物語のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ある在ジャワ「台湾籍民」の物語のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの台湾籍民 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS