あやめ公園の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 14:37 UTC 版)
1910年(明治43年) - 地元横町に住む金田勝見が杉林跡地に野生のあやめ数十株を植え、茶会を開き人を招いたのが始まりと言われる。 1912年(明治45年) - 国鉄の誘行を図り、杉林を伐採した空地に花菖蒲を植え、現在の公園の原型が作られた。 1930年(昭和5年) - 山形新聞主催の「山形県一投票」で見事一位の栄誉に輝き、園内には記念碑も立てられている。 戦時中は食糧難から増産畑になっていたこともあり、その際に園内に植栽されていた花菖蒲を市民が保存した。終戦後に再びその苗を持ち寄り公園の復興へと取り掛かっている。 1962年(昭和37年) - 日本花菖蒲協会の会長である、井上清会長・平尾秀一理事長など30余名が来園した際、当時認識されていた「江戸系」「肥後系」「伊勢系」どれにも属さない品種を発見、「長井古種」と命名された。 1963年(昭和38年) - 明治神宮より江戸系花菖蒲20種200株を譲り受ける。 2010年(平成22年) - 開園100周年を迎える。 2021年(令和3年) - 再整備に向けた基本構想を策定。
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