あの町この町
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『あの町この町』(あのまちこのまち)は、日本の童謡。2007年(平成19年)に日本の歌百選の1曲に選ばれた。
歴史
野口雨情作詞、中山晋平作曲による。初出は東京社(現ハースト婦人画報社)が出版する児童雑誌『コドモノクニ』1924年(大正13年)1月号とされる[1][2]。この頃は雨情にとって全盛期であり、雨情の代表作の1つである[3]。
作曲者の中山晋平は、この歌を口ずさみながら逝去したと伝えられている[4]。
楽曲
楽譜は1925年(大正14年)4月に金の星社発行の「金の星童譜曲集第9集」に掲載された[2]。民謡風の旋律であるが西洋音階を取り入れた新しい型の楽曲である。4分の2拍子で、主な旋律は八分音符4つで構成されているが、中山晋平は「はずみをつけて」という標語を記し、わらべ歌のような曲調で歌われる事が多い。

歌詞
夕暮れが迫るのも気にせずに遊んでいる子供たちに早く帰るよう呼び掛ける歌である[5]。曲の題名であり、歌い出しでもある「あの町この町」は特定の町を想定したものではなく、田舎町の夕暮れと豊かな自然を歌ったものである[3]。
歌碑
栃木県宇都宮市の野口雨情旧居の近くに、当楽曲の碑がある[6]。野口の妻・つるが当地を離れる際に、思い出の証として記念となるものを残したいと、歌人の蓬田露村に相談したことがきっかけで建立されたもの[7]で、つるの希望によりこの楽曲が刻まれた[8]。
脚注
参考文献
- 小島延介『詩人・野口雨情 ここにて眠る』宇都宮市明保地区明るいまちづくり協議会、2016年1月、14頁。
- 寺内恒夫『文学碑の旅―栃木県―上巻』落合書店、1988年12月25日、243頁。 ISBN 4-87129-148-0。
- 塙静夫『うつのみや歴史探訪 史跡案内九十九景』随想舎、2008年9月27日、287頁。 ISBN 978-4-88748-179-4。
- 長田暁ニ『心にのこる日本の歌101選』株式会社ヤマハミュージックメディア、2007年4月20日、18-19頁。 ISBN 9784636819809。
関連項目
あの町この町
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「あの町この町」の碑は、鹿沼街道をはさんで旧居と向かい合う位置にある。この碑は1958年(昭和33年)4月27日に建立されたもので、除幕式には、つる、雨情の二女、東京雨情会会長の古茂田信男らが出席した。音楽家の権藤円立(ごんどう えんりゅう)が碑面の書と解説を担当した。「あの町この町」は『コドモノクニ』1924年(大正13年)1月号に発表したもので、鶴田で作詞したものではないが、つるの希望によりこの詩が刻まれた。 碑の建立の契機は、つるが雨情の思い出の証として記念となるものを残したいと、歌人の蓬田露村に相談したことである。つるの意向を受けた露村は雨情関係者や文化人の協力を得て、碑を建立した。碑の周りの土地は鹿沼街道の2度に渡る拡幅工事で買収され、狭い三角形状になってしまった。 旧居前にも1988年(昭和63年)5月29日に、中島実作の童心馬を載せた「あの町この町」の碑が建立された。建立者は当時の宇都宮雨情会会長である。こちらは童心馬像とも呼ばれる。
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