『象引』の初演についてとは? わかりやすく解説

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『象引』の初演について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/22 08:43 UTC 版)

象引」の記事における「『象引』の初演について」の解説

この『象引』の初演は、一般に元禄14年 (1701年)、江戸中村座初代市川團十郎が『傾城王昭君』(けいせいおうしょうくん)の中の一幕として上演したとされているが、これについて服部幸雄より疑義出されている。以下服部幸雄主張おおまかにまとめると次のうになる。 『傾城王昭君』については絵入り狂言本芝居あらすじ記した本)が残されており、そのなかで初代山中平九郎蘇我入鹿初代團十郎山上源内左衛門対決する場面確かに象は出てくるが、象を引きあうという記述は無いどころ源内左衛門が象と争うということすら無くかわりに源内左衛門の妻が暴れる象を手なづけたとある。 文化9年1812年)のころ、神明前にあった地本問屋江見屋が「象引」の木版画出しているが、これは江見屋が古くから伝えていたもの新たに刻したものだという。この絵の上のほうに立川焉馬による考証七代目市川團十郎俳句記されており、焉馬考証によるとこの絵に描かれているのは元禄14年の『傾城王昭君』、初代團十郎山上源内左衛門山中平九郎の「鈴鹿皇子」が象を引きあう場面としている。しかし上で触れたように『傾城王昭君』にはそのような場面無く、また山中平九郎演じたのは蘇我入鹿であって鈴鹿皇子」ではない。焉馬はじつはこの『傾城王昭君』の内容について調べていた形跡があるが、なぜこのような考証至ったのかは不明である。 結局象引』の初演元禄14年の『傾城王昭君』であるというのは、上記焉馬考証入った江見屋の覆刻絵によるところが唯一であり、ほかに確かな記録は無い。またその他の上演再演記録について確かなものを見出すことができない。すなわち初演の事も含め象引』について「拠るべき資料」は、この江見屋の絵一点だけである。ただし「物を引き合う」という荒事芸は『草摺引』などを見るように古くからあり、その「物を引き合う荒事ひとつとして象引』は歌舞伎十八番選ばれたのだという。そして正確な年代不明であるが「象を引き合う」という芝居が古い時代上演されたことは「おそらく事実」であるとする。

※この「『象引』の初演について」の解説は、「象引」の解説の一部です。
「『象引』の初演について」を含む「象引」の記事については、「象引」の概要を参照ください。

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