『水理學』について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:09 UTC 版)
後年、「有名な宮本武之輔内務省技師(技術者の地位向上のための技術者運動。信濃川大河津分水工事。1982(明治25)年-1941(昭和16)年、享年49)が企画したシリーズの一冊として水理学を書くことになったが、物部(長穂)先生と同じものを書くわけにはいかないということで、この本が出来た」と述べている。しかし、東京帝国大学卒業後、当時は本郷の東京帝国大学からほど近い駒込にあった内務省試験研究所に入所した本間は、そこから東京帝国大学の理学部に通って応用数学などの講義を受けていたということからも、当時の実験公式の寄せ集めのような水理学には満足出来ず、以前から理論的体系化を考えていたのであろう。しかもこの頃(1932)ロシア出身のColumbia大学教授Boris Bakhumeteff(一時、ロシアの外交官を務めた)により開水路流れの理論が整理され(Hydraulics of Open Channels, McGraw-Hill,1932)、機も熟していたといえる。 全く同じ頃(1938年)同じ方向、つまり‘流体力学を基礎とした理論体系としての水理学を目指した’本が、年齢もほぼ同じ米国のHunter Rouse(1906-1996)によって書かれた。互いに知らずに同じような方向を目指していたのであるが、勿論、両書の具体的な内容は異なっている。
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