『感性の変革』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:48 UTC 版)
亀井は文芸雑誌『群像』の1978年(昭和53年)4月号に、「感性の変革」というサブタイトルを持つ、「消し去られた無人称」という評論を発表した。これは、日本に「近代文学」が始まる以前に存在し、近代に入ってからは江戸戯作文学の残滓として無視されていた言語表現の諸相を検討して、その表現実態はどのようなものであったか、どんな表現の動きがあったかを明らかにしようとした評論であり、1979年5月号の「他者のことば」まで、断続的に5回『群像』に発表された。 それから2年後の1981年3月号の『群像』に、亀井は「感性の変革再論」という副題を持つ「口惜しさの構造」という評論を発表し、以後断続的に7回書き継いで、1982年4月号の「自然が管理されるまで」で完結した。この再論で亀井は、樋口一葉や泉鏡花など、〈前近代文学〉から〈近代文学〉の移行期とされる時代に書かれた、独特な擬古文の表現を取り上げ、その特徴を明らかにするとともに、昭和50年代の半ばより急速に広まってきた構造主義や、ポスト構造主義の方法に対する批判を積極的に展開した。 そして1983年(昭和59年)、「感性の変革」と「再論」は一冊にまとめられ、『感性の変革』(講談社)として刊行された。
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