『プラヌデス詞華集』と『パラティン詞華集』
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「ギリシア詞華集」の記事における「『プラヌデス詞華集』と『パラティン詞華集』」の解説
マケドニア朝ルネサンス期の900年頃、学者コンスタンティノス・ケパラス(ドイツ語版)が、上記の『花冠』などから詩を更に選出して、集大成的な選集を編纂した(題名や巻数は不明)。980年頃、逸名の学者(または学者たち)が、このケパラス選集を改訂増補して、全15巻約3700篇からなる増補版ケパラス選集を編纂した。 ビザンツ末期の1299年、学僧マクシモス・プラヌデス(英語版)が、この増補版ケパラス選集から多くの詩(特に稚児愛詩)を削除すると同時に約400篇を追加して、全7巻約2400篇からなる選集、通称『プラヌデス詞華集(英語版)』(羅: Anthologia Planudea) を編纂した。この『プラヌデス詞華集』は、詩の内容に改変を加えたり、秀詩を削除したり、校訂が粗雑だったりするなど問題が多いと評される。 ルネサンス期のヨーロッパでは、この『プラヌデス詞華集』が盛んに受容された。写本が流布した後、1494年に印刷業者のロレンツォ・フランチェスコ・ディ・アロパ(英語版)が、ビザンツからの亡命学者ラスカリス(英語版)の協力のもと、最初の刊本を出した。以降、アルド・マヌーツィオ、アンリ・エティエンヌも刊本を出した。主な受容者として、グロティウス、ポリツィアーノ、エラスムス、トマス・モア、アルチャート、ニコラ・ブルボン(英語版)、ジャン・ドラ、デュベレー、バイフ、ロンサール、マルッロ(英語版)、パンノニウス(英語版)、メランヒトンが挙げられる。彼らにより『プラヌデス詞華集』の翻訳や引用、エピグラムの自作が行われた。 『プラヌデス詞華集』が広く受容された一方、ケパラス選集と増補版ケパラス選集は早期に散逸して全く読まれなかった。そのような中、1606年に当時19歳の古典学者サルマシウス(英語版)が、ハイデルベルクの選帝侯プファルツ伯の図書館(ビブリオテカ・パラティナ(英語版))にて、増補版ケパラス選集の唯一現存する古写本、通称『パラティン詞華集(英語版)』(『パラティナ詞華集』とも。羅: Anthologia Palatina) を発見した。しかしながら、この『パラティン詞華集』は発見後も特に複製されず、引き続き『プラヌデス詞華集』が読まれ続けた。なお、『パラティン詞華集』の内容がオリジナルの増補版ケパラス選集やケパラス選集とどれほど同じかは不明だが、おおよそ同じものとして扱われる。
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