『サムシング・クール』
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「ジューン・クリスティ」の記事における「『サムシング・クール』」の解説
キャピトル・レコードでのファースト・ソロ・アルバムとなった『サムシング・クール(Something Cool)』(1953年〜1955年録音)は、タイトル曲「サムシング・クール(Something Cool)」や、スタンダードナンバー「朝日のようにさわやかに」「ザ・ナイト・ウィー・コールド・イット・ア・デイ(The Night We Called It a Day)」などの歌唱を収める。バックを務めたのはウエストコースト系の一流ミュージシャンを集めたビッグバンドで、指揮・編曲はピート・ルゴロが務めた。 「サムシング・クール」という楽曲は、作詞・作曲もこなす才人ピアニストのビル・バーンズ(William "Billy" Barnes, 1927-2012)が1953年にショーの挿入曲として作ったバラードである。ジューンはこの新曲を知って感銘を受け、「とうていヒットするような歌ではないと思うが、ぜひ録音したい」と切望、同じく曲に惚れ込んだルゴロの後押しもあって録音が実現した。 1953年12月27日に録音された「サムシング・クール」は、まず1954年にシングルとして発売される。同年に他の録音と合わせてアルバム化され、10インチLP盤で発売された。次いで1955年には12インチ盤に改められたが、このアルバムは1956年までに9万3,000枚を売り上げ、当時のジャズ・アルバムとしては異例のヒットとなった。 アルバム『サムシング・クール』は1960年に、再びルゴロの指揮により、同じプログラムで、オリジナルに準じた編曲を用いたステレオ盤が再録音されている。モノラル録音時に比べ、ジューンの喉の衰えにより、歌唱のコンディションが若干損なわれている傾向がある。LPジャケットは、モノラルが「ジューンが目を閉じたモノクローム印刷」、ステレオが「ジューンが目を開いたカラー印刷」とおおむね区別できるが、1960年のステレオ盤発売時点において、すでにカラー版のジャケットがモノラル盤に使われるケースが発生していた。1991年以降の再発盤CDは曲目やモノラル/ステレオ録音の選択によって様々なバージョンがあり、LPでの組み合わせがさらに混在しているケースも見られる。
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