『やさしい釦』、1912年
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「ガートルード・スタイン」の記事における「『やさしい釦』、1912年」の解説
『やさしい釦(ボタン)』はスタインの密封された作品の中では良く知られた作品である。1914年のその出版は、メイベル・ドッジが他の出版者と交渉していたために、スタインとメイベル・ドッジとの間に亀裂を生んだ。メイベルはスタインが選んだ出版者でそれを出版することは悪い選択だと長々とした手紙を書いた。 クレール・マリー・プレスは...絶対的に3流の出版者です。ここに悪い評判があり、大部分は退廃的とかブロードウェイのようなとかそのように言われている...私は「もし」大衆の意見という考えを強調するならば、クレール・マリー・プレスで出版するのは憐れなことだと思う。貴女に結びつけられるキュビスム運動の全体について堕落、不毛、退廃といったものがあり、ちくしょう、大衆が物事を理解しない限りあらゆる種類の物事を考えるのだから。このことに関する私の感覚は極めて強いものがある。 スタインはメイベルの勧めを無視し、結果的にメイベルそのものを無視して1914年にその著作1,000部を出版した(この古書も2007年で1,200ドル以上の価値がある)。『やさしい釦』は無料オンライン検索が可能なプロジェクト・グーテンベルクに収められている。
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