「Revival of FUSO」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 20:53 UTC 版)
「垣野多鶴」の記事における「「Revival of FUSO」」の解説
2004年、都市対抗野球優勝チームの証である黒獅子エンブレムを袖に試合に臨んだ三菱ふそう川崎は、春先から好調で、前年初戦でクラブチームに足をすくわれているJABA京都大会においては決勝戦で雪辱に燃えるシダックスを返り討ちにして同大会での初優勝を果たした。しかしこの大会の最中、本社をめぐる不祥事が発覚、三菱ふそう川崎は前年度の都市対抗野球優勝チームであるにもかかわらず活動を自粛することとなり、選手たちはリコールの対応やトラック・バスの点検作業のため全国各地の工場に散り散りになった。 2005年シーズン、活動自粛が解け、活動が再開された。幸いにも22名の選手のうち、実家の事情で退部した1人を除き全員がグラウンドに戻ってきた(反対に、同様の不祥事で活動を自粛した三菱自動車岡崎では、監督を含む14人が、他チームでのプレーを前提に退部している)。垣野は、野球部にできることは、ただ勝つことではなく、圧倒的な強さで勝ち進み、ふそうの復活を会社にアピールし、ひいては全国にアピールすることと考え、チームのスローガンを「Revival of FUSO」(ふそうの復活)とした。 同年の都市対抗野球、補強選手もうまくかみ合い、決勝戦では神奈川県2次予選第1代表決定戦と同じ組み合わせとなった日産自動車との対戦となったが、これも6-3で退け、リバイバルを完結させた。試合後の場内インタビューで垣野は、「今度は(社員の)皆さんと一緒にリバイバルを果たしたい」とコメントし、企業チームのあり方を示唆することとなった。
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