「関東計画」と柏通信所
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1973年(昭和48年)1月に日米政府間で合意された「関東平野空軍施設整理統合計画(KPCP: 通称・関東計画)」では、当初アメリカ空軍が策定した計画の素案に柏通信所と大和田通信所の移転・返還も含まれていた。関東計画は首都圏に散在していた在日米空軍施設の機能を他の施設へ移転・集約統合するとともに、不要となった複数の施設・区域を削減(返還)する計画で、移転先で新規提供される施設の建設・整備費を日本政府が負担し、その代償として、首都圏では数少ないまとまった形の大規模な不動産(国有財産)である跡地を取得するとともに、これを有償処分することで負担した費用の財源に充てるという方針の下で交渉が進められていた。この交渉でアメリカ側が提示した柏通信所と大和田通信所の移転案について日本側は費用効果が得られないと主張し、その根拠として、アンテナフィールドに含まれている私有地は返還後も国有財産とはならないこと、また、土地所有者の大半は農家で、政府から支払われている借料が収入源の一つであると同時に、在日米空軍も私有地をアンテナフィールド以外の目的には使用しないという制限を設けて営農・耕作を容認しているため、当面は返還を要求する政治的圧力が存在しないことなどを挙げた。アメリカ側はこの主張によって計画全体を危うくするような難局が交渉に生じる可能性を考慮し、合意に向けた譲歩が妥当と判断して通信施設の再編に関する部分を計画案から除外した。これによって柏通信所は関東計画の対象外となり、1973年(昭和48年)3月31日に市道用地として2,275.16m2が一部返還されるに留まった。
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