「絶対王政」対「議会王政」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:08 UTC 版)
「第2次百年戦争」の記事における「「絶対王政」対「議会王政」」の解説
第2次百年戦争は大西洋経済の覇権をめぐる英仏間の抗争を基調とするが、政体のうえでみるとヴェストファーレン体制(主権国家体制)成立後の「絶対王政フランス」対「議会王政(立憲王政)イギリス」の戦いという見方もできる。 フランス絶対王政の特徴を以下に列挙する。 ボシュエらの王権神授説をとる典型的な絶対主義王政 貴族を王の経済的保護の下に置き、彼らの政治的権力を奪うことで確立した中央集権体制 宰相を中心とする官僚制の整備(地方知事も中央政府の任命) ヨーロッパ最大の常備軍(ミシェル・ル・テリエとルーヴォワ父子の兵制改革) 身分制議会を完全に無視(1614年以後、1789年まで三部会開かれず) 王室財政の安定を目的とした重商主義政策 それに対し、イギリス(イングランドとスコットランドが合同してグレートブリテン王国が成立)では1714年にジョージ1世が即位し、ハノーヴァー朝が成立すると「王は君臨すれども統治せず」の原則が成立し、1721年にはホイッグ党のウォルポール内閣が成立して議院内閣制のしくみが整った。 この両者の体制の違いは一連の英仏抗争である第2次百年戦争の帰趨にも影響を与えた。
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