「忍術映画」の始まりとは? わかりやすく解説

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「忍術映画」の始まり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:12 UTC 版)

尾上松之助」の記事における「「忍術映画」の始まり」の解説

明治から大正初期の映画現場照明がなく、フィルムチェンジの際は「チェンジ待った!」と声をかけ、フィルム交換が済むまで役者はみんなそのまま動作止めて待っていた。この「待った」の間に小便立った役者がおり、これに気付かず撮影再開したところ、完成フィルムで突然役者消えうせることとなり、これが牧野省三監督得意の忍術トリック映画始まりとなったというのが牧野省三語った話である。 当時の「忍術映画の上風景といえば、「之助の児雷也が印を結んで大蝦蟇化け捕り方呑みこみ、元の姿に戻って大蛇丸立ち回り」というような場面では、ズームレンズなど無い時代であり、キャメラ寄って来るまで之助は姿勢止めてじっと待っていて、観客同じくじっと待っている、というような非常に長閑なのだった。しかしこの忍術映画は、大正期少年たちの魂をとらえて離さなかったのである当時、この之助の忍術映画社会問題となったことがあった。「目玉松っちゃん」の映画影響されて、上野の駅で走ってくる汽車前に子供立って印を結ぶという事件が起こったのである汽車止まると、子供自分忍術止まったのだと思い込んだという。「忍術映画は世を惑わすのである」などと言われマキノ省三監督は、仕方なく訓戒的な教育映画連作するようになった南部僑一郎之助について次のように語っている。 「目玉松っちゃん連続活劇の『ジゴマ』、子供はみんなこれの真似しました忍術ものが流行る、十字きって二階からパッと飛んだら、足の骨折った、そんな話はザラにあった大正元年です」。

※この「「忍術映画」の始まり」の解説は、「尾上松之助」の解説の一部です。
「「忍術映画」の始まり」を含む「尾上松之助」の記事については、「尾上松之助」の概要を参照ください。

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