「忍術映画」への逆風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/23 03:16 UTC 版)
「牧野教育映画製作所」の記事における「「忍術映画」への逆風」の解説
1920年(大正9年)1月の日活による「ミカド商会」吸収後、牧野省三は日活に戻り、ふたたび「目玉の松っちゃん」(尾上松之助)主演の映画を撮り続けた。 松之助の十八番は、初歩的な特撮を駆使した「忍術映画」だった。松之助演じる児雷也や猿飛佐助が大蝦蟇に化けたり屋根を飛び越えたりといった描写を、トリックで見せていくというこの「忍術映画」は、当時の子供たちを熱狂させた。 ところが、この松之助の忍術映画が人気を博する半面、社会問題となってきた。「目玉の松っちゃん」の映画に影響されて、上野の駅で走ってくる汽車の前に子供が立って印を結ぶという事件が起こったのである。汽車が止まると、子供は自分の忍術で止まったのだと思い込んだという。「忍術映画は世を惑わすものである」などと言われたマキノ省三監督は、仕方なく訓戒的な「教育映画」を制作することとなった。
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