「引っ越し業」の開拓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 05:22 UTC 版)
寺田は勤務中のあるとき、雨の日にトラックが引っ越しの荷物を積んでいる光景をみて、引っ越し業への参入を着想した。当時、引っ越しは運送業者の副業として行われていたが、作業員に荷を盗まれたり、荷が雨風にさらされたりするなど、現在の引っ越し業に比べはるかに拙劣なものであった。寺田は、当時懇意にしていた立石電機(後のオムロン)が当時としては珍しい週休二日制を採用していたことを利用し、立石電機向けのアルミバンを週末の二日間だけ水性塗料で「引っ越し専用車」と上塗りするという妙案を思い付く。寺田は、すぐさま資金繰りや陸運局の免許取得などの手続きに取り掛かり、紆余曲折の末、1977年6月にアート引越センター株式会社を設立した。寺田は、引っ越しなど家庭に関することは女性に決定権があることが多いという点に目をつけ、妻の千代乃を社長に就かせ、女性のニーズにきめ細かく対応できるようにした。 事業が軌道に乗った後も寺田は、家族と家財を同時に運ぶ「ドリームサルーン21」や引っ越しの際に自動車も一緒に運ぶ「CAR CARRY21」などヒットとなるサービスを次々と生み出した。また、新たなサービスを発案すると、すぐに実用新案権を取得していたので、他社が追随することは困難であった。
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