「国崩し」とは? わかりやすく解説

「国崩し」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 13:40 UTC 版)

フランキ砲」の記事における「「国崩し」」の解説

1576年天正4年)、キリシタン大名大友宗麟が、日本布教に来たポルトガル人宣教師達から火縄銃硝石と共にフランキ砲輸入したとされ、日本最初大砲といわれる。 砲はインドゴア交易品として作られたもので、本来は艦砲用の設計である。 輸入された2門(10門とも)のフランキ砲は、その大きな威力から「国崩しくにくずし)」と名づけられた。これは「(敵の)国をも崩す」という意味であったものの、配下中にはこれが「自国を崩す」意味にもつながるとして嫌った者もいたと言われる果たしその後大友氏薩摩島津氏蹂躙されることとなった。しかし宗麟の臼杵城篭城の際は、その巨大な砲弾威力で敵の島津軍驚かせ食い止めるのに役立った大友氏除国後も、江戸時代通じて臼杵城本丸配備されていた。

※この「「国崩し」」の解説は、「フランキ砲」の解説の一部です。
「「国崩し」」を含む「フランキ砲」の記事については、「フランキ砲」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのフランキ砲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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