「冬枯の中に家居や村一つ(ふゆがれの なかにいえいや むらひとつ)」
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「袋井市」の記事における「「冬枯の中に家居や村一つ(ふゆがれの なかにいえいや むらひとつ)」」の解説
正岡子規の句正岡子規がまだ高等中学校の学生であった明治22年の12月、この年開通した東海道線で郷里の四国松山へ帰省する途中に袋井を通りかかった。汽車の発車時刻は午後6時7分、すでにあたりはうす暗く、「ふくろい~」「ふくろい~」の駅員の声にさそわれ、袋井駅付近を詠んだ俳句である。昭和32年(1957年)、地元の短歌俳句クラブ「八雲会」によって袋井駅前に此の句碑が建立された。句碑は高さ130センチ程あり、ブロンズ製の碑文で子規のレリーフと題字が付けられている。碑文の字は子規の直筆稿本「寒山落木」第一巻から転書され、「正岡子規先生句碑」という題字は袋井市出身の書家で日本藝術院会員の川村驥山で、更にレリーフは人間国宝(鋳物師)の香取正彦によって手掛けられたものである。
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