「上総」の名称と由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:13 UTC 版)
『古語拾遺』によると、よき麻の生きたる土地というところより称したとされる捄国(ふさのくに)から分立したという。分立の時期については、『帝王編年記』では上総国の成立を安閑天皇元年(534年)としており、毛野国から分かれた上野国と同じく「上」を冠する形式をとることから6世紀中葉とみる説もある。 6世紀から7世紀にかけ多くの国造が置かれ、後の安房国も併せ8つの国造の領域が存在しているが、ヤマト王権からはこれらの国造の領域を合わせ捄国(もしくは上捄国)として把握されていたものと考えられ、ヤマト王権と緊密なつながりを有していたともされている。藤原京出土木簡に「己亥年(699年)十月上捄国阿波評松里□」とあり、7世紀末には「上捄」の表記であったと推測されるが、大宝4年(704年)の諸国印鋳造時には「上総」に改められた。読みは、古くは「かみつふさ」であったが、「かづさ」に訛化した。「かみつふさ」の転であり、正仮名遣(歴史的仮名遣い)では「かづさ」と表記されるが、現代仮名遣いでは「かずさ」とするため、「つ」に由来することが見えない状況となっている。
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