「ワイキキのファーストレディ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/09 07:38 UTC 版)
「モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパ」の記事における「「ワイキキのファーストレディ」」の解説
ワイキキビーチの中心地のビーチの目の前にあり、オーシャンフロントの客室とロビーなどからワイキキビーチとダイアモンド・ヘッドの景色を目前に見ることができる眺望の良さを誇る上、当時として最新の設備を誇った白い建物が「ワイキキのファーストレディ」と称され、同時期の1900年代から1920年代に建設された「ロイヤル・ハワイアン」や「ハレクラニ」と並ぶホノルルを代表する高級ホテルとなった。開業当時の建物は正面入口にある「ヒストリック・バニヤン・ウィング」として今でも使用されており、アメリカ合衆国国家歴史登録財やホノルル市の文化財にも指定されている。 しかしこのホテルはうまくゆかず、1905年にはアレクサンダー・ヤング(Alexander Young)に売られて、1910年にヤングが死亡すると「テリトリアル・ホテル・カンパニー」の傘下となり、大型客船やその後就航したパンアメリカン航空の飛行艇で、アメリカやイギリス領香港など世界各国からホノルルを訪れる旅行客によって利用された。大恐慌の時期に行き詰まり、1932年にはマトソン社が買収している。 第二次世界大戦時においてもアメリカ軍に接収されることなく、ワイキキビーチで唯一の民間の大型ホテルとして営業していた。1935年から1975年にかけて、モアナ・ホテルから有名なラジオ番組「ハワイコールズ」で波の音と共にハワイ音楽が米軍放送網に乗って放送されて、このホテルとその付近は米軍兵士のあこがれの休養地であり、日本でも戦後FENラジオで放送されて、日本のハワイ音楽の普及に役立っている。
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