「シャルルマーニュ」再編制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 01:43 UTC 版)
「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「「シャルルマーニュ」再編制」の解説
1945年3月、大損害を被ってポメラニア戦線から撤退した「シャルルマーニュ」師団の生存者は、陸路もしくは海路でドイツ北部地域を目指し、アンクラム(Anklam)北西に位置するヤルゲリン(Jargelin)を集結地点とした。その後、生存者が多少集まった「シャルルマーニュ」師団は3月24日にノイシュトレーリッツ(Neustrelitz)に移動し、師団司令部をベルリン北方のカルピン(Carpin)に設置した上で再編制に着手した。 4月初旬、再編制後の「シャルルマーニュ」師団(連隊)の兵力は約1,000名に回復したが、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーとフランスSS部隊最高査察官兼「シャルルマーニュ」師団長グスタフ・クルケンベルクSS少将は、これ以上の戦闘継続を希望しない将兵を戦闘任務から解放した上で、師団(連隊)に残った真の意味での義勇兵だけで構成される新たな「シャルルマーニュ」の編制を決定した。 4月23日、ベルリンの総統官邸はクルケンベルクとその部下に対し、ベルリンへ移動するよう命令した。4月24日午前4時頃に連絡を受けたクルケンベルクは、戦闘継続を希望した300名のフランス人将兵を連れてソビエト赤軍の迫るベルリンへ向かうことを選んだ。ベルリンへの出発を希望したフランス人義勇兵は、第8フランスSS義勇突撃旅団以来の古参将校アンリ・フネSS義勇大尉が指揮官を務める「フランスSS突撃大隊」(Französische SS-Sturmbataillon) として再編制された。
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