ВЛ22М
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/09 07:27 UTC 版)
「ソ連運輸省VL22形電気機関車」の記事における「ВЛ22М」の解説
1940年に発電機工場では一時間定格出力を400kWに増強させた主電動機を開発、ВЛ22形の178号機に試験的に取り付けた。この電動機はВЛ22形機関車の機械部分の変更無しに交換が可能であった。1940年から1945年までの試験結果は良好で、1946年には戦後初の電気機関車ВЛ22-184号が新しい電動機を搭載して作られた。これは発電機工場製最後の幹線用電気機関車となった。以後の生産を引き継いだノヴォチェルカッスク電気機関車工場は、1947年3月7日には幹線用新型電気機関車であるВЛ22М (BL22M) 形185号機を登場させた。この機関車は回生ブレーキがあるものと無いものが製作され、1958年までに1541両が生産された。1959年初の時点で、ВЛ22Мは当時ソビエト連邦に存在した44の鉄道路線のうち17路線で活躍していた。南鉄道と十月鉄道では主に旅客列車向けにギア比を変えたものが運用された。1970年代末期からВЛ22Мの廃車が始まり、1980年代に廃車が最も促進された。幹線であるモスクワとサンクトペテルブルクの間の十月鉄道では、1990年代中期には、ВЛ22МはВЛ10に置き換わる前はもっぱら貨物輸送用に使われていた。スベルドロフスクの操車場のВЛ22Мは、1987年ごろにはその経年からだけではなく、軸受けの油量を常に監視しなければならない古風なシステムを持つがゆえに「羊」と揶揄されていた。
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