β崩壊の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:51 UTC 版)
マイトナーは木工作業所時代、β崩壊によって発生する電子のエネルギー量はすべて同じではないかという仮説をたて、ハーンと共同で実験を行った。しかし実験を続けるうちに、トリウム(Th)などから発生するβ線のスペクトルは複数あることが分かるようになり、1911年、2人はこの説をいったん撤回した。 しかしその後、やはり最初自説の通り、β崩壊による電子のエネルギーは1通りではないかと思うようになった。それ以外のスペクトルはβ崩壊そのものによるものではなく、β崩壊にともなって軌道電子によって作られる2次的なものなのではないかと考えたのである。 マイトナーは、2次的な電子の放出は、γ線が原因だと考えた。β崩壊が起こるとγ線が発生し、そのγ線の影響で2次的な電子が放出される。この説を確かめるため、トリウムB( 2 12 P b {\displaystyle {\rm {{}^{2}{}^{12}Pb}}} )を鉛にくるみ、スペクトルを観測するという実験を行った。 トリウムB( 2 12 P b {\displaystyle {\rm {{}^{2}{}^{12}Pb}}} )はβ崩壊すると、2本の強いスペクトルと1本の弱いスペクトルを出す。この物質を鉛でくるむ。β崩壊で発生する電子は鉛を通り抜けることができないが、γ線は通り抜けられる。この状態でスペクトルを見ると、2本の強いスペクトルのみが観測され、弱いスペクトルは見られなかった。よってこの場合、強いスペクトルはγ線の影響で放出された鉛の電子によるものだということが分かる(2本のスペクトルは、K殻とL1殻に対応する)。 マイトナーはこのような実験からおのおののスペクトルのでどころを求め、そのエネルギー量を計算していった。そして、β崩壊で原子核から放出される粒子のエネルギーはやはり一定で、この粒子の一部がγ線に転化すると結論付けた。 ところが、同じ時期にチャールズ・D・エリスは、β崩壊の前にγ線が放出されるという説を発表した。原子核からγ線が放出され、そのγ線の影響で軌道電子が放出される。原子核はγ線を放出したことにより不安定な状態になり、電子を放出してβ崩壊する。つまり、マイトナーの説とは逆の順番で反応が起こると考えたのである。 マイトナーはエリスの説に反論すべく、γ線の放出がなくてもβ崩壊は起こり得ることを実験によって示した。それが 2 34 T h {\displaystyle {\rm {{}^{2}{}^{34}Th}}} の反応である。この原子は、β崩壊を示すβ線の他に、弱いγ線を発生する。マイトナーはこのうちのβ線は原子のL殻、M殻、N殻にある電子による2次的なもので、γ線は(原子核からではなく)K殻から発生すると考えた。実験の結果もそれを裏付けるもので、γ線のエネルギーはK殻から発生するKα線のエネルギーに一致し、他のエネルギーのγ線は観測されなかった。つまり、マイトナーが考えるこの原子の反応は、以下の通りである。まず、β崩壊により原子核から電子が放出される。その電子は軌道電子のK殻にある電子を外に放出させる。K殻に空きができるので、外側のL殻からK殻に電子が移動する。電子は外側の軌道(L殻)より内側の軌道(K殻)のほうがエネルギー準位が低いから、K殻に移動したことで余ったエネルギーをKα線として放出する。このKα線が、さらに外側の軌道にあるL殻、M殻、N殻にある電子を放出させる。 この、電子がK殻に移動することによって発生するエネルギーによって他の電子が2次的に放出されるという現象を発見したのは、マイトナーが初であった。しかしこの実験について書かれたマイトナーの論文の主題は 2 34 T h {\displaystyle {\rm {{}^{2}{}^{34}Th}}} の崩壊に関してであったため、この現象の発見は目立たなかった。2年後にピエール・オージェが似た現象を発見し、現在ではオージェ効果と呼ばれている。
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