野副重一 野副重一の概要

野副重一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:58 UTC 版)

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野副重一

経歴

肥前国高来郡諫早村(現在の長崎県諫早市)に木下助内の三男として生まれ、1882年明治15年)に野副弥惣左衛門の養子となった[2]1892年(明治25年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業した後、仙台市で弁護士事務所を開業した[2]

仙台市会議員、同議長を経て、1920年大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に当選した[3]

蔵王町立宮小学校には水難事故に遭った教え子を救おうとして殉職した小野さつき訓導への弔辞が展示されている[4]

脚注

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参考文献

  • 『衆議院要覧 下巻 大正九年六月』衆議院事務局、1920年。 
  • 人事興信所編 『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。 

  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、19頁。
  2. ^ a b 『人事興信録』
  3. ^ 『衆議院要覧』
  4. ^ 小野さつき訓導の殉職”. 伝承之蔵. 2019年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月15日閲覧。


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