相良氏 庶家

相良氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/19 08:22 UTC 版)

相良氏(さがらし)は、肥後南部を支配した戦国大名の氏族である。江戸時代に入ると肥後人吉藩主家となり、明治維新まで続いた。維新後は子爵に列する。


注釈

  1. ^ 後の静岡県榛原郡相良町相良および波津(はづ)、現・牧之原市相良および波津。
  2. ^ 現在の熊本県山鹿市菊鹿町相良。「泉荘(菊鹿町及び鹿本町北東部)」のうち、高橋(鹿本町高橋)・津袋など南部一帯を「本荘(高橋荘)」、内田(鹿本郡内田村)・相良など北部地域を「新荘(新庄)」といった[2]
  3. ^ 大分県中津市三光・成恒、渋味成恒中津線、福岡県築上郡上毛町成恒、などに名を残す[3]
  4. ^ 『新撰事蹟通考』に引用されている「相良系図」では、為時・時頼の2代を省いており、時理・時文の兄弟を為憲の子とし、時文に注釈して「あるいは為時に作る。伊豆守」と載せ、その子・維兼に注釈して「遠江守、あるいは時文・維兼の間に時頼あり」としている[7]
  5. ^ 八代日記』には義滋の頃から義陽の代まで、相良当主が八代と人吉とを移動した記述が頻繁に見える。
  6. ^ 旧人吉藩は現米2万5090石(表高2万2100石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[16]

出典

  1. ^ a b c d 太田 1934, p. 2541.
  2. ^ JLogos 角川日本地名大辞典 泉荘
  3. ^ 中世吉富の歴史と文化財
  4. ^ 田代 1917, p. 1.
  5. ^ 堀田 1923, p. 703.
  6. ^ 田代 1917, p. 4.
  7. ^ a b c d e 太田 1934, p. 2542.
  8. ^ 小川弘和「相良・工藤系図とその周辺」稲葉継陽・小川弘和編『中世相良氏の展開と地域社会』戎光祥出版、2020年、P28-30.
  9. ^ 小川弘和「鎮西相良氏の惣領制と一揆」『歴史』130輯、2018年.
  10. ^ 勝俣 1967, p. [要ページ番号].
  11. ^ a b 新田完三 1984, p. 686-689.
  12. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『人吉藩』 - コトバンク
  13. ^ 新田完三 1984, p. 689.
  14. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  15. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  16. ^ 浅見雅男 1994, p. 151.
  17. ^ 小田部雄次 2006, p. 332.
  18. ^ a b c 華族大鑑刊行会 1990, p. 273.
  19. ^ 人吉市史編さん協議会編 1981, p. [要ページ番号].


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