相良頼泰とは? わかりやすく解説

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相良頼泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/01 14:18 UTC 版)

 
相良頼泰
時代 江戸時代前期
生誕 寛文2年7月3日1662年8月16日[1]
死没 延宝5年10月27日1677年11月22日
別名 長次郎(通称
戒名 徳光院文渓良鑑
官位 従五位下壱岐守
肥後人吉藩世嗣
氏族 相良氏
父母 相良頼喬、相良長秀娘・於亀
兄弟 頼泰頼真、式部、女子、万吉、又四郎
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相良 頼泰(さがら よりやす)は、江戸時代前期の肥後国人吉藩の世嗣。通称は長次郎。官位従五位下壱岐守

略歴

3代藩主(相良氏23代当主)・相良頼喬の長男として誕生。母は相良長秀の娘・於亀(春晴院)。

延宝元年(1673年)に4代将軍徳川家綱に拝謁する。延宝4年(1676年)12月20日に従五位下・壱岐守を叙任した。

延宝5年(1677年)、家督を相続することなく父に先立って16歳で早世した。

代わって弟・頼真が嫡子となったが、同じく早世し、後に側室から生まれた庶子3男1女も全て相次いで早世したため、頼泰の母の弟で、叔父にあたる頼福が頼喬の養子となって跡を継いだ。

脚注

  1. ^ 『人吉市史』第1巻(人吉市、1981年)p.931

参考文献




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