松本小雪 松本小雪の概要

松本小雪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/02 09:39 UTC 版)

プロフィール

東京都出身。街頭スカウトを経て平尾昌晃音楽学校でレッスンを重ね、堀越高等学校芸能コースに入学。高校3年時の1983年アイドル扱いでデビューを果たし約半年間活動したものの、翌1984年満18歳になるや否や篠山紀信フルヌードを撮影させ、同校卒業を待って小学館の雑誌『写楽』『GORO』で発表して話題を呼ぶ。

桑沢デザイン研究所に進学。浮世離れした「不思議ちゃん」的雰囲気が注目され、宮沢章夫竹中直人いとうせいこうらの演劇ユニット『ドラマンス』(後のラジカル・ガジベリビンバ・システム)を結成し、プロダクション人力舎に所属する。他にも「田辺(エージェンシー)枠」のお笑い番組でテレビにも進出した。

1985年4月には一部のおニャン子[1]と同級生だったにもかかわらず『夕やけニャンニャン』の初代司会者の1人に起用され、同番組の総合司会を放送開始から1年半に渡って務めた。夕ニャンではComme des GarçonsY's の黒系ロングスカートドレス、踵のないパンプス、太いまゆげ[2]襟足を刈り上げたテクノカットショートボブという、当時流行のハウスマヌカンスタイルでアンニュイさを醸し出し、同じく初代司会者だった片岡鶴太郎ダンプ松本らに弄られた。

1980年代中盤一杯、バラエティ番組にアート系若手女性タレントの役どころで出演した後は、紙媒体のエッセイやイラストに活動の比重を移し、2000年からは朝日新聞の連載小説『官能小説家』(高橋源一郎)の挿絵を担当していたが、戦前の資生堂ポスター図案の剽窃を疑われ、しりあがり寿と途中交代した。その後主婦

エピソード

  • 1983年から1984年にかけてはプランニング・アソシエイツに所属、その後田辺エージェンシーに移籍して1985年に「夕やけニャンニャン」の司会者となった。その時期に某タレントのマネジャーだった平野昌一と深夜デートを写真週刊誌FRIDAYにキャッチされ話題になったが某プロダクションの圧力で話題縮小になった。[3]

出演作品

映画

テレビ

ラジオ

写真集

ディスコグラフィー

シングル

作詞:冨田礼子 / 補作詞:岩谷時子 作曲:平尾昌晃 編曲:若草恵 (1983年)発売:東芝EMI (T-07-1069)

(B面)「自動ピアノ」 作詞:岩谷時子 作曲:平尾昌晃 編曲:若草恵


  1. ^ 河合その子立見里歌
  2. ^ 頭髪も多量で、つむじが無いと自称していた。
  3. ^ 『噂の真相』2009年6月号「バーニング王国の裏取引事情」99頁ー102頁 閲覧。


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