日本の降伏 「終戦の日」はいつか

日本の降伏

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「終戦の日」はいつか

伝統的な戦時国際法において休戦協定の合意は口頭による同意によれば良く文書の手交を要件としない(ハーグ陸戦条約・附属書36条)。このため休戦が協定された日と休戦協定が外交文書(降伏文書)として固定された日は異なり、実際に各地の戦線で休戦が合意された日もまた異なる。そのため現実に戦闘が停止された日付(あるいは現地日本軍が降伏した日、あるいは降伏式を執り行った日付)には前後があり、また日本政府が停戦を通告した日(最初のものは短波ラジオを通じた8月10日)、連合国の各司令部により停戦の事実が確認された日などにも前後関係がある。

今日、「終戦の日」とは、昭和天皇が「玉音放送」によって、日本政府がポツダム宣言の受諾(=日本軍の降伏表明)を連合国側に通告したことを、国民に放送を通じて公表した1945年(昭和20年)8月15日とするのが一般的である。一方、日本政府がポツダム宣言の受諾を連合国側に通告したのは、前日の8月14日であり、玉音放送によって読み上げられた「終戦の詔書」の日付もその日となっている。

日本政府及び連合国代表が降伏文書に調印した日は、1945年(昭和20年)9月2日であり、連合国ではこの日を「対日戦勝記念日」としている例が多いが、中華民国や中華人民共和国、旧ソビエト連邦のように9月3日とする国もある。なお国際条約として日本国が交戦国と正式に平和条約などを締約し戦争状態が終了した日は日本国との平和条約が発効した1952年4月28日、日本国と中華民国との間の平和条約が発効した1952年8月5日、日ソ共同宣言が発効した1956年12月12日である(ただし日ソ共同宣言は戦争状態の終了を確認した条約であって平和条約ではない)。


注釈

  1. ^ 東郷はこれを閣議決定違反だと激怒して抗議した。
  2. ^ 林航空隊は東北民主連軍航空学校として中国人民解放軍空軍創立に尽力した。
  3. ^ 永井和によれば、重光の具申により方針を撤回させたことは重要であり、無条件降伏があくまで日本軍に対するものであって国に対するものではないことに基づくとする。
  4. ^ 沖縄戦の降伏文書には、リーガル版の厚手の用紙が使用されており、米軍側は青インクで署名をしている[68]

出典

  1. ^ 福田和也 『悪と徳と岸信介と未完の日本』 産経新聞社 2012年4月 第19回『サイパン陥落』、第20回『尊攘同志会』 pp.228-246
  2. ^ 長谷川毅『暗闘(上)』中公文庫、2011年、p151
  3. ^ 『暗闘(上)』 p.198
  4. ^ 『暗闘(上) 』 pp.290 - 212、218 - 220
  5. ^ 『満洲国―「民族協和」の実像』塚瀬進 吉川弘文館 p.147
  6. ^ 『暗闘(上)』 p.226
  7. ^ 『暗闘(上)』 pp.248 - 250
  8. ^ a b 寺崎英成著 『昭和天皇独白録』 136ページによれば、「私が今迄聞いてゐた所では、海岸地方の防備が悪いといふ事であつたが、報告に依ると、海岸のみならず、決戦師団さへ、武器が満足に行き渡つてゐないと云ふ事だつた。敵の落した爆弾の鉄を利用して「シャベル」を作るのだと云ふ、これでは戦争は不可能と云ふ事を確認した。木戸は米内にも東郷にも鈴木にも意見を聞いたが、皆講和したいと云ふ、然し誰も進んで云ひ出さない。それで私は最高指導会議の者を呼んで、速かに講和の手筈を進める様に云つた。「ソビエト」を経てやれと云つたかどうかは記憶して居らぬ。この時鈴木その他から先づ「ソビエト」の肝を探らうと、云ひ出した、私はそれは良い事と思ふが、現状に於ては速かに事を処理する必要があると云つた。これですつかり講和の決意が出来て安心した、但し講和の条件に付ては、皆各と意見があつた。之と前后して、鈴木は詔書を出して国民を激励して頂きたいと云つて釆たが、前述の理由で、絶対に反対だと云つたら、鈴木は御尤もだと云つて帰つた。どうも政府も軍人も二股かける傾向があるのはよろしくない。この場合鈴木だから、隔意なく思ふ事が云へたのだ。・・・然しソ連は誠意ある国とは思へないので、先づ探りを入れる必要がある、それでもし石油を輸入して呉れるなら南樺太も、満洲も与へてよいといふ内容の広田「マリク」会談を進める事にした。しかし、「スターリン」は会議から帰つた后も、返事を寄越さず、その中に、不幸にして「ソビエト」の宣戦布告となつた。こうなつては最早無条件降伏の外はない。」とある
  9. ^ NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」(2012年8月15日放映)[1]。当番組では連合国に傍受解読された駐在武官発の電報(ロンドンに保存)が紹介された。
  10. ^ NHK取材班 『太平洋戦争 日本の敗因6 外交なき戦争の終末』 角川文庫、1995年、pp.204 - 208
  11. ^ 昭和天皇実録より
  12. ^ a b c 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.264
  13. ^ 昭和天皇実録 iza14090905120002 2/3
  14. ^ 衣奈多喜男『最後の特派員』朝日ソノラマ 1988年7月、ISBN 978-4-257-17205-5
  15. ^ a b c 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.267
  16. ^ 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.265
  17. ^ "… the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander …"
  18. ^ The ultimate form of government of Japan... government は無冠詞である(プログレッシブ英和中辞典(第4版) government)。
  19. ^ “The Decision to Use the Atomic Bomb” by Henry Stimson
  20. ^ August 10, 1945 Truman Diary
  21. ^ 山下祐志 1998, pp. 6.
  22. ^ 新城道彦, 2015 & Kindle版、位置No.全266中 219 / 85%.
  23. ^ 戦史叢書93大本営海軍部・聯合艦隊(7)戦争最終期 471頁
  24. ^ 戦史叢書93大本営海軍部・聯合艦隊(7)戦争最終期 473頁
  25. ^ 山下祐志 1998, pp. 7.
  26. ^ 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.274
  27. ^ 新人物往来社 1995, p. 166.
  28. ^ a b 岩田重則『「玉音」放送の歴史学: 八月一五日をめぐる権威と権力』青土社、2026年6月26日、143-,170頁。 
  29. ^ 角田房子 1980, p. Kindle5159.
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  33. ^ 伊藤正徳・5 1961, p. 284.
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  41. ^ 山田朗「日本の敗戦と大本営命令」『駿台史學』第94巻、明治大学史学地理学会、1995年3月、132-168頁、CRID 1050845762305962624hdl:10291/1641ISSN 0562-5955NAID 120001439091 
  42. ^ 指 巻14 第2525号~2556号”. 国立公文書館 アジア歴史資料センター. 2023年7月25日閲覧。
  43. ^ NHKスペシャル取材班 編『樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇』(株)KADOKAWA、2019年10月25日。 
  44. ^ Dollinger, Hans. The Decline and Fall of Nazi Germany and Imperial Japan, Library of Congress Catalogue Card # 67-27047, p.239
  45. ^ 「スターリンの野望」北海道占領を阻止した男 : 読売新聞”. 読売新聞. 2023年7月13日閲覧。
  46. ^ 『占領下の津京』佐藤洋一 p.25(河出書房新社)2006年
  47. ^ 「厚木でマッカーサーを出迎えた「太平洋戦争きっての名作戦家」2021年9月6日」 - 2021年9月6日 譚璐美 JBpress
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  52. ^ 杉田一次の回想-2-杉田一次著『情報なきミズリー号艦上の降伏調印 映像で見る占領期の日本-占領軍撮影フィルムを見る- 永井和京都大学教授
  53. ^ 「大日本帝国の興亡5」ジョン・ト―ランド著 早川書房 P.318
  54. ^ 「私を通り過ぎたスパイたち」佐々淳行著 文藝春秋 P.178
  55. ^ 石川真澄 『戦後政治史 新版』(2004年)岩波新書、6ページ
  56. ^ a b c d 石川真澄 『戦後政治史 新版』(2004年)岩波新書、7ページ
  57. ^ a b c d e f 石川真澄著『戦後政治史 新版』(2004年)岩波新書56ページ
  58. ^ United States Department of State (1951). United States Department of State / Foreign relations of the United States, 1951. Asia and the Pacific (in two parts). VI, Part 1. pp. p. 1296. http://digital.library.wisc.edu/1711.dl/FRUS.FRUS1951v06p1 
  59. ^ 塚本孝「韓国の対日平和条約署名問題」『レファレンス』 494巻、国立国会図書館調査立法考査局、1992年3月、95-101頁。 
  60. ^ 池谷薫『蟻の兵隊 日本兵2600人山西省残留の真相』(新潮社、2007年(平成19年))、米濱泰英『日本軍「山西残留」』(オーラル・ヒストリー企画、2008年(平成20年)6月)、山口盈文『僕は八路軍の少年兵だった』(草思社 1994年(平成6年)、新版が光人社文庫、2006年)に詳しい、また中国山西省日本軍残留問題を参照。
  61. ^ 回想に小野寺百合子『バルト海のほとりにて 武官の妻の大東亜戦争』(共同通信社。初版1985年)。
  62. ^ 情報開示により近年研究が進み、評伝に岡部伸(産経新聞編集委員)による『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』(新潮選書、2012年)、『「諜報の神様」と呼ばれた男 連合国が恐れた情報士官小野寺信の流儀』(PHP研究所、2014年)がある。
  63. ^ 小野寺工作を元に、作家の佐々木譲が小説で『ストックホルムの密使』(新潮社、のち新潮文庫)を著し、1995年(平成7年)10月に、NHKでドラマ放送(前・後)された。
  64. ^ 岡本・加瀬のルートによるスイスでの活動は、竹内修司『幻の終戦工作 ピース・フィーラーズ1945夏』(文春新書2005年)に詳しい。著者は『月刊文藝春秋』、『諸君!』などの編集者で、昭和史関連の著作編集を行っている。なお、岡本・加瀬と藤村は別個に活動しており、お互いの活動をほとんど知らなかったとされる。
  65. ^ 有馬哲夫『「スイス諜報網」の日米終戦工作 ポツダム宣言はなぜ受けいれられたか』(新潮選書、2015年)では、藤村の和平工作に否定的な見解を述べている。
  66. ^ 藤村=ダレス工作を元に、作家の西村京太郎が小説『D機関情報』(講談社)を著し、『アナザー・ウェイ ―D機関情報―』(主演役所広司1988年)で映画化された。
  67. ^ 「占領の瞬間生々しく 降伏式の写真見つかる」デーリー東北新聞社オンライン(2010/03/11)[2]
  68. ^ a b “日本軍の降伏文書 公開 沖縄市が終戦70年展”. 琉球新報. (2015年8月19日). http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-247513.html 2016年5月27日閲覧。 
  69. ^ 9月7日 沖縄での降伏調印式 (1945年)”. 沖縄県公文書館. 2016年5月28日閲覧。
  70. ^ 独立混成第5旅団(桐)l”. アジア歴史資料センター. 2018年12月21日閲覧。
  71. ^ Second Instrument of Surrender Document”. Lillian Goldman Law Library. 2018年12月21日閲覧。
  72. ^ Instrument of Surrender, Rabaul”. National Archives of Australia. 2018年12月21日閲覧。
  73. ^ 別巻は「終戦を問い直す シンポジウム」栗原健ほか編、江藤淳解説, 1980。
  74. ^ 時事及び図書センター版は、回顧談「終戦の表情」(労働文化社, 1946)を収録
  75. ^ 終戦・占領での当事者・その親族13名へのインタビュー





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