大雲院 (京都市) 境内

大雲院 (京都市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 23:27 UTC 版)

境内

  • 本堂 - 新たな境内地である現在地に1978年昭和53年)再建。鉄筋コンクリート造。かつての境内地にあった本堂は智積院に移されて明王殿(不動堂)とされている。 
  • 庫裏
  • 書院(国登録有形文化財) - もともとはこの地にあった大倉喜八郎の京都別邸・真葛荘の建物で、1928年(昭和3年)築。1973年(昭和48年)の大雲院の移転により伽藍の一部となった。
  • 織田信長信忠の墓 - 一つの墓石で、右が信長で左が信忠の墓になっている。
  • 石川五右衛門の墓 - 処刑前に市中を引き回された五右衛門が大雲院門前に至った際、貞安が引導を渡したという縁から墓が設けられている。
  • 島津以久の墓 - 佐土原藩初代藩主。伏見で亡くなったために同院に葬られた。
  • 南門 - 文化4年(1807年)再建で、四条寺町の旧境内地にあった山門。1973年(昭和48年)に移築された。
  • 鐘楼 - もともとは北野天満宮にあった鐘楼で、慶長12年(1607年)に豊臣秀頼片桐且元を奉行として再建したもの。明治時代の神仏分離で北野天満宮から除かれることになったので1872年(明治5年)に当院に移された。梵鐘は、祇園感神院(現・八坂神社)にあったもので、延徳2年(1490年)に造られたもの。神仏分離で除かれることとなり、1870年(明治3年)に佐土原藩主島津忠寛により当院に寄進された。双方ともに1973年(昭和48年)に現在地に移築された。
  • 大雲院龍池会館
  • 総門(東門) - 大倉喜八郎が建てた京都別邸・真葛荘は、その後所有者がホテルニューオータニの創設者である大谷家に移っている。その際に東京のホテルニューオオタニの敷地(もとは皇族伏見宮邸跡地)にあった門を現在地に移設したもの。

銅閣

  • 祇園閣(国登録有形文化財) - 1928年(昭和3年)に建築された3階建ての建物で、これも真葛荘の建物の一つであった。設計は伊東忠太で高さは36メートルあり、祇園祭の鉾を模した造りとなっている。屋根は銅板葺きであるが、これは大倉喜八郎が金閣銀閣に次ぐ銅閣として作らせたためである。入口にある額「祇園閣」は西園寺公望の筆。1988年(昭和63年)には望楼に至る階段の壁に敦煌莫高窟壁画模写が中国人画家の手により描かれている。

  1. ^ 圓山公園内の真葛庵とは別
  2. ^ “非業の関白、豊臣秀次の供養塔 京都、ひそかに弔う?”. 京都新聞. (2014年8月22日). http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20140821000106 2014年11月24日閲覧。 
  3. ^ 『妙心寺史』
  4. ^ 曹洞宗公式


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