ワルドー・フォン・エリック ワルドー・フォン・エリックの概要

ワルドー・フォン・エリック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 03:41 UTC 版)

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ワルドー・フォン・エリック
プロフィール
リングネーム ワルドー・フォン・エリック
ワルドー・フォン・ジーバー
カール・フォン・ジーバー
ワイルドマン・ズィム
ザ・グレート・ズィム
ザ・グリーン・ホーネット
ミスターM
エル・ティグレ
本名 ウォルター・ポール・ジーバー
ニックネーム 冷血鬼
電撃男[1]
身長 193cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 1933年10月2日
死亡日 (2009-07-05) 2009年7月5日(75歳没)
出身地 カナダ
オンタリオ州トロント
トレーナー アル・スピットル
ホイッパー・ビリー・ワトソン
デビュー 1950年
引退 1979年
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フリッツ・フォン・エリックの「弟」を名乗り(実際には血縁関係はない)、ナチスギミックドイツ人ヒールとして活躍した[2]

来歴

YMCAにてレスリングのトレーニングを積み、1950年カルガリーにて17歳でデビュー[3]。ワルドー・フォン・ジーバー(Waldo Von Sieber)またはカール・フォン・ジーバー(Karl Von Seiber)の名義でカナダ各地を転戦後にアメリカへ進出し、1950年代後半にフリッツ・フォン・エリックと邂逅。ワルドー・フォン・エリックWaldo Von Erich)と改名してフリッツとの兄弟タッグチームを結成し、1958年10月にミッドアトランティック地区NWA南部タッグ王座を獲得した[4]

フリッツとのコンビを一時解消後、1960年代初頭は、ミスターM(Mr. M)、ザ・グレート・ズィム(The Great Zim)、ザ・グリーン・ホーネット(The Green Hornet)、エル・ティグレ(El Tigre)などのリングネームで覆面レスラーに変身したこともある[5]。素顔のワルドー・フォン・エリックに戻っての1963年には、中西部の各地にてウイルバー・スナイダーカウボーイ・ボブ・エリスクラッシャー・リソワスキーザ・シークらと対戦した[6]

1964年ニューヨークWWWFに参戦。8月22日、9月21日、10月19日のマディソン・スクエア・ガーデン定期戦において、ブルーノ・サンマルチノWWWF世界ヘビー級王座に連続挑戦した[7]。翌1965年2月4日にはジン・キニスキーと組んでジェリールークのグラハム兄弟からUSタッグ王座を奪取[8]。同年8月2日のMSG定期戦では、当時WWWFでベビーフェイスのポジションにいたジョニー・バレンタインと対戦している[7]

1966年より、フリッツ・フォン・エリックがテキサス州ダラスにて設立したNWAビッグタイム・レスリングにてフォン・エリック・ブラザーズを再結成。1967年2月21日にアル・コステロ&カール・フォン・ブラウナー、9月11日にブルート・バーナード&マイク・パドーシスを破り、NWAアメリカン・タッグ王座を2度に渡って獲得した[9]

その間の同年4月、日本プロレスの『第9回ワールドリーグ戦』に「ドイツ代表」として初来日。ザ・デストロイヤーに次ぐ外国人陣営の2番手となって優勝戦線を撹乱した[10]。5月開幕の『アイアンクロー・シリーズ』にも残留出場し、シリーズのエースとして参戦したフリッツとの兄弟タッグを日本でも実現させ、5月23日に大阪府立体育館にて、ジャイアント馬場&吉村道明インターナショナル・タッグ王座に挑戦している[11]。翌1968年1月には、グレート東郷のブッキングでTBS体制下の国際プロレスに来日、ナチス・ギミックの先達であるハンス・シュミットともタッグを組んだ[12]

1960年代末はオーストラリアジム・バーネットが主宰していたワールド・チャンピオンシップ・レスリング)にも遠征。1969年4月4日、シドニーにおいてマリオ・ミラノと組み、ドン・レオ・ジョナサン&アントニオ・プリエーゼからIWA世界タッグ王座を奪取している[13]。帰米後は1971年3月、中南部のNWAトライステート地区にてカール・フォン・ブラウナーをパートナーに、ビル・ワット&ビリー・レッド・ライオンを下して同地区のUSタッグ王座を獲得した[14]

以後、1970年代はシングル・プレイヤーとしての活動に専念し、1971年4月より五大湖エリアのNWFに登場。同年11月20日、オハイオ州クリーブランドにてジョニー・パワーズを破り第2代のNWF世界ヘビー級王者となった(12月8日にドミニク・デヌーチに王座を奪われるが、翌1972年1月5日に奪回。6月9日にアーニー・ラッドに敗れるまでタイトルを保持した)[15]

1972年の秋には日本プロレスに再来日し、10月18日に高崎にて坂口征二UNヘビー級王座に挑戦している[16]1973年から1974年にかけては再びオーストラリアにて活動、スパイロス・アリオンからNWA豪亜ヘビー級王座を奪取し[17]、タッグではヒロ・トージョーことサムソン・クツワダとの日独戦犯コンビで活躍した[18]1975年は第2次政権時代のブルーノ・サンマルチノの首を狙い、フレッド・ブラッシーマネージャーに迎えて久々にWWWFに登場[19]。8月27日にはペンシルベニア州ハンブルクにてアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦した[20]

1976年9月、NWFでの抗争相手でもあったアブドーラ・ザ・ブッチャーと共に全日本プロレスに来日。9月30日に岩手県営体育館にて、ブッチャーと組んで馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑み、大木金太郎アジアヘビー級王座にも2回挑戦した。1977年には覆面レスラーのザ・グレート・ズィムとして、NWAトライステート地区にてテッド・デビアスから北米ヘビー級王座を奪取したが、同年3月1日、ディック・マードックに敗れて王座から陥落[21]。これが最後のタイトル戴冠となり、1979年に引退した[5]

晩年は地元オンタリオのケンブリッジを拠点とするインディー団体ICWに参画していた[5]2009年7月5日、オンタリオ州キッチナーの病院にて死去[22]。75歳没。

なお、1980年代後半にダラスのWCCWでワルドーの息子と称するランス・フォン・エリック(ウィリアム・ヴォーン)がフォン・エリック兄弟(ケビンケリー)の従兄弟として活動していたが、フリッツとワルドーの兄弟設定と同様にギミック上のフィクションであり、ワルドーやフォン・エリック・ファミリーとの血縁関係はない[23]。 

得意技


  1. ^ 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P107(1988年、日本スポーツ出版社
  2. ^ 『世界名レスラー100人伝説!!』P114(2003年、日本スポーツ出版社、監修:竹内宏介
  3. ^ A final goodbye to Waldo von Erich”. SLAM! Sports. 2009年12月29日閲覧。
  4. ^ a b NWA Southern Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月18日閲覧。
  5. ^ a b c Waldo Von Erich”. Online World of Wrestling. 2009年12月29日閲覧。
  6. ^ The matches Waldo Von Erich fought at USA in the year 1963”. Wrestlingdata.com. 2015年12月31日閲覧。
  7. ^ a b WWE Specific Arena Results: MSG 1963-1969”. The History of WWE. 2009年12月29日閲覧。
  8. ^ a b WWWF United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月18日閲覧。
  9. ^ a b NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月18日閲覧。
  10. ^ JWA 1967 The 9th World Big League”. Puroresu.com. 2015年5月1日閲覧。
  11. ^ JWA 1967 Iron Claw Series”. Puroresu.com. 2015年5月1日閲覧。
  12. ^ The IWE matches fought by Waldo Von Erich in 1968”. Wrestlingdata.com. 2014年12月1日閲覧。
  13. ^ a b IWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月31日閲覧。
  14. ^ a b NWA United States Tag Team Title [Tri-State/Mid-South]”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月31日閲覧。
  15. ^ a b NWF World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月18日閲覧。
  16. ^ JWA 1972 The 3rd Annual NWA Tag Team League”. Puroresu.com. 2015年12月31日閲覧。
  17. ^ a b NWA Austra-Asian Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月31日閲覧。
  18. ^ 『Gスピリッツ Vol.22』P87-88(2012年、辰巳出版ISBN 4777809846
  19. ^ WWE Specific Arena Results: MSG 1970-1979”. The History of WWE. 2009年12月29日閲覧。
  20. ^ WWWF TV-Taping at Hamburg”. Wrestlingdata.com. 2015年5月1日閲覧。
  21. ^ a b NWA North American Heavyweight Title [Tri-State/Mid-South]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月18日閲覧。
  22. ^ Waldo von Erich dies suddenly”. SLAM! Sports. 2009年7月6日閲覧。
  23. ^ Lance Von Erich”. Online World of Wrestling. 2009年12月29日閲覧。
  24. ^ NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月31日閲覧。
  25. ^ NWA Texas Brass Knuckles Title [East Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月31日閲覧。
  26. ^ NWA Canadian Heavyweight Title [Calgary]”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月31日閲覧。
  27. ^ NWF North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月31日閲覧。
  28. ^ NWA Austra-Asian Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月31日閲覧。


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固有名詞の分類

全日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー エディ・ファトゥ  ジョセフ・ロウリネイティス  ワルドー・フォン・エリック  バズ・ソイヤー  ピーティー・ウィリアムズ
覆面レスラーとして活動していたプロレスラー 折原昌夫  ジョージ・ハインズ  ワルドー・フォン・エリック  長井満也  高木功
日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー ホセ・ロザリオ  ディック・マードック  ワルドー・フォン・エリック  ラリー・ヘニング  ブルーノ・サンマルチノ
国際プロレスに参戦した外国人プロレスラー ジェイク・ロバーツ  ディック・マードック  ワルドー・フォン・エリック  ホースト・ホフマン  アンドレ・ザ・ジャイアント
カナダのプロレスラー ビッグ・ジョン・クイン  フィル・アトラス  ワルドー・フォン・エリック  ピーティー・ウィリアムズ  ジェリー・モロー

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