ラブパレード 概要

ラブパレード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 15:57 UTC 版)

概要

動員数の推移

1989年に開始。当初はベルリンで、DJであるDr. Motteにより始められた150人ほどの小さなパレードであった。その後は毎年参加者が増え続け、ピークの1999年には国内外から最高の150万人を動員した。

ベルリン市内の6月17日通りを行き来する多数のフロート(サウンド・システムを積んだトレーラー)を中心に参加者が踊り、練り歩く。終盤には戦勝記念塔下に皆が集結し、ファイナルギャザリングでのDJプレイでクライマックスを迎える。「パレード」の名のとおり、本来は政治的デモ行動として行政当局にも開催を認められていた。

日本からはドイツ・テクノシーンと関係の深い石野卓球などがDJとして参加しており、特に石野は1998年にはパレードのフィナーレを飾るベルリン戦勝記念塔の広場(グローサー・シュテルンドイツ語版)でのファイナル・ギャザリングでもDJプレイしている。

また近年では名称がライセンスされ、世界各地でラブパレードの名を冠したイベントが開催されている。ベルリンにおいては開催時期に「ラブウィーク」と称して多数のパーティ・イベントが行われるほか、サンフランシスコでは2004年から「ラブフェスト」、「ラブエボリューション」と称して開催。またシドニーリーズメキシコシティサンティアゴロッテルダムカラカスなどでも公式イベントが開催されている。

しかし参加者が増えてイベントが大きくなったため、2000年以降『もはや単なる商業的・観光的イベントになった』という批判が起こるようになり、パレード終了後の膨大なゴミ問題なども深刻化した。行政当局もデモではなく商業イベントという判断から開催費用捻出を拒否するようになり、2004年には資金難を理由に中止を余儀なくされた。翌2005年も開催を見合わせたが、2006年にはフィットネス事業などを手がけるMcFit社をメインスポンサーに迎え、"The Love is back and alive!" をキャッチコピーとして7月15日に3年ぶりに開催された。

2007年はベルリン市が開催を認めなかったため、代わりの開催都市が求められた。以前からエッセンを初めとするルール地方が、交通インフラが整備されているため開催が可能だとアピールしていた。そこで2007年から2011年までの5年間は、ルール地方の主要都市で毎年持ち回りで開催されることとなった。まず2007年はエッセンで、都心近くのベルリーナー広場一帯で120万人を集めて行われた。2008年ドルトムントで連邦国道1号線を閉鎖して行われ、160万人という過去最高の人出があったと発表された。2009年ボーフムが予定されていたが開催が見送られた。適切な場所がないことも問題であったが、主な理由はの処理能力が予想される人出に対して不十分なためと説明されている。2010年デュースブルクでの開催が予定されていたが、市の財政難で危ぶまれた。そこで開催を支援するスポンサー探しや募金活動が行われた結果、ようやく2010年4月に州が開催に青信号を出した。しかし、このデュースブルクで死傷事故が生じたため、今後は開催しないことが主催者から発表された。


  1. ^ a b c d e ラブ・パレード死者の追悼礼拝、主催者や市長姿見せず”. AFP通信 (2010年8月1日). 2021年5月3日閲覧。 “ドイツの野外音楽イベント「ラブ・パレード(Love Parade)」で起きた転倒事故で亡くなった犠牲者21人の追悼式が31日、同イベントが行われた西部デュイスブルク(Duisburg)で営まれ、アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相ら数千人が参列した。”
  2. ^ BBC News: Stampede at German Love Parade festival kills 15 イギリス・BBC(事件直後の速報)
  3. ^ Sky News: At Least 17 Killed In Love Parade Stampede[リンク切れ] イギリス・SKY NEWS(速報)
  4. ^ Telegraph: 18 dead in Love Parade stampede イギリス・テレグラフ紙(速報、閲覧には会員登録が必要)
  5. ^ CNN.co.jp: 音楽イベント「ラブパレード」で死者18人以上 - ウェイバックマシン(2013年7月28日アーカイブ分)[リンク切れ] アメリカ・CNN(英文ニュースの和訳、動画は英語)
  6. ^ Sonderlage.de das BOS Portal im Web[リンク切れ] ドイツ・総合ウェブニュースサイト Einsatz-Magazin(事件直後、twitterで安否不明と投稿された人名を掲載)
  7. ^ Love Parade to be halted as death toll reaches 19 イギリス・Irish Times、2010年7月25日(主催者記者会見の様子、イベントの永続的中止を報道)
  8. ^ Borneman, John; Senders, Stefan (2000-05). “Politics without a Head: Is the "Love Parade" a New Form of Political Identification?”. Cultural Anthropology 15 (2): 294–317. doi:10.1525/can.2000.15.2.294. ISSN 0886-7356. http://dx.doi.org/10.1525/can.2000.15.2.294. 



ラブ・パレード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/02 09:43 UTC 版)

ラブ・パレード: love parade




「ラブ・パレード」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ラブパレードのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ラブパレード」の関連用語

ラブパレードのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ラブパレードのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのラブパレード (改訂履歴)、ラブ・パレード (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS