ライト兄弟 人間関係

ライト兄弟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 14:57 UTC 版)

人間関係

兄弟

デイトン市内に保存されているライト兄弟の自転車屋

ウィルバー・ライト(英: Wilbur Wright)
1867年4月16日 - 1912年5月30日

ライト家の三男でオーヴィルの兄。インディアナ州東部の小さな村ミルビル英語版出身。

オーヴィル・ライト(英: Orville Wright)
1871年8月19日 - 1948年1月30日

ライト家の四男でウィルバーの弟。オハイオ州デイトン出身。

2人は牧師ミルトン・ライト(1828年 - 1917年)の息子として生まれた。一家には他に3人の兄妹(長兄ルクラン(1861年 - 1920年)、次兄ローリン(1862年 - 1939年)、妹キャサリン(1874年 - 1929年))がいたが、母スーザンは結核により1888年に早逝した。尚この他にもう2人の兄弟がいたが夭折している(厳密には7兄弟と考えられる)。

兄弟は生涯の大部分をデイトンで過ごした。グライダー実験と最初の動力飛行をノースカロライナ州キルデビルヒルズで済ませた後の飛行活動は、現在ライト・パターソン空軍基地の敷地内にあるハフマンプレーリー(一般見学可能)を中心に行われた。だがウィルバーの晩年には再びキルデビルヒルズで実験を行った。

1909年に兄弟はライト社英語版(英: Wright Company) を創業するが、ウィルバーの死後の1915年にオーヴィルは会社を売却している。ライト社は最初のグレン・L・マーティン・カンパニーおよびシンプレックス・オートモービル社と合併してライト=マーティン社になり、その後、この会社は航空機用エンジンを主力とするライト・エアロノーティカル社として再編成された。1929年にライト・エアロノーティカル社とカーチス・エアロプレーン・アンド・モーター・カンパニーは統合して、巨大な新合併会社であるカーチス・ライト社が誕生した[3]。カーチス・ライト社は航空機用部品メーカーとして存続している。

ウィルバーは1912年腸チフスのためデイトンの自宅で死去した。オーヴィルは36年後、心臓発作のため同じくデイトンで死去した(奇しくも彼の翌日にはジョン・T・ダニエルズ(下記)が死去している)。2人はデイトンのウッドランド墓地英語版に長兄ルクラン[注 4]を除く家族と共に埋葬されている。2人とも女性に興味がなく、生涯独身だった。同性・異性を問わず性的な接触をした証拠は見つかっていないという[5]

キャサリン・ライト(晩年の1926年11月20日に結婚してキャサリン・ライト・ハスカルとなる)は、ライト兄弟の唯一の妹にして、彼らのアシスタント的な存在だった。1889年に母親が早逝したとき、彼女は家族では唯一の女性として世帯の責任を引き継いだ。オーバリン大学(英: Oberlin College)を卒業後、スティール高校(英: Steele High School)で教師として働く。家事の手伝いをするために、彼女は何十年も家族と一緒にいたメイド、キャリー・カイラーを雇った。ウィルバーとオーヴィルはキティーホークで家を離れ、その後ヨーロッパとワシントンDCで時間を過ごすと、キャサリンは家を離れ、家族と故郷のニュースと並行して彼らに常に書簡を書いた。彼女は定期的に書簡を送っていないときに彼らを叱って、ヨーロッパにいるときに「気晴らし」を警告した。ウィルバーはキャサリンにオービルと一緒にフランスに行くように頼み、1909年にポー、ピレネー=アトランティックで加わる。彼女はすぐに社会的な場面を支配し、悪名高い恥ずかしがる兄弟よりもはるかに魅力的になっている。ウィルバー死亡後の1912年、ライトカンパニーの役員になるが、同社は1915年にオーヴィルによって売却された。

1926年11月20日にヘンリー・ジョセフ・ハスケル(英: Henry Joseph Haskell)と結婚するが、オーヴィルは式典に出席することを拒否。彼女の結婚2年後、キャサリンは肺炎に罹った。 オーヴィルが知ったとき、彼はまだ彼女に連絡することを拒んだ。 彼らの兄ローリンは彼に彼女を訪問するように説得し、彼女が死んだときに彼はベッドサイドにいた。キャサリンは1929年3月3日に54歳で死亡した。


注釈

  1. ^ ブラジル文部文化省の公式見解では、ライト兄弟に3年遅れて初飛行を果たしたアルベルト・サントス=デュモンこそが飛行機の発明者であり、これを公式に宣言したフランス航空協会の賞状が存在する。ライト兄弟は秘密実験だったのに対してサントス・ドュモンは公開試験で成功させたとしている。さらにライト兄弟の初飛行は斜面を駆け下り、カタパルトを用いていたとしている。このような説がブラジルでは広く信じられているが、それは史実に反する。45馬力のエンジンを搭載したサントス・デュモンの飛行機は操縦性能などの点ではるかにライト兄弟の初飛行より優れていたが、当然のことながらライト兄弟の飛行機も3年間で大きな進化をしていた。
  2. ^ 兄弟は自転車屋の店舗を何度も移している。1箇所がデイトン市内に史跡として整備されている他、デトロイトフォード博物館内に移設されたものがある。
  3. ^ 原則はPaul Fauchille の考え方を基礎にしている。
  4. ^ 農夫となり、移住したカンザスシティで亡くなって同地に埋葬されている[4]
  5. ^ 飛行の成功を父親に知らせた電報には、電報局のミスにより「57秒」と記載された[7]
  6. ^ 長らく挑戦者の多くが鳥のように羽ばたく機構の飛行機(オーニソプター)を作っていたのも一因と推測される。19世紀に入って近代的な航空機の研究が始まったが、模型飛行機を拡大すればよいとして、操縦特性の研究を軽視する傾向が見られた。
  7. ^ 1906年頃にはアメリカ合衆国でもグライダーがスポーツとして認知されてきたが、オーヴィルは1911年にグライダーで9分45秒の滞空時間世界記録を作っている(History of Soaring)(1911年のグライダー)。
  8. ^ 他の研究者では、日本の二宮忠八のように資金が得られずに研究が停滞したケースがある。また、ラングレーは軍から資金を受けていたことで、失敗の際に強く非難されることになった。
  9. ^ 飛行機の安定性と運動性は相反する性能である。ライト兄弟の製作した機体は運動性を最優先として安定性をかなり犠牲にしていた。ライト兄弟以降の飛行機製作者たちはより安定性に振った設計を行っている。近年[いつ?]はコンピュータ制御による安定性維持を前提として、機体自体の静的安定性を低めて運動性を向上する技術(CCV技術)が確立している。
  10. ^ これ以前にも何度か復元機が製作されているが、その中にはエンジン出力をオリジナルより増して飛ばしたものもあった。NHK1980年に放送した「教育テレビスペシャル・人間は何をつくってきたか 交通博物館の世界」では、エンジン出力までオリジナル通りの復元機をアメリカ人の青年が1978年に3年かけて製作し、キティホークで24mの飛行に成功した模様が収録されている。
  11. ^ 対気速度が増し、ひいては揚力が増した
  12. ^ グスターヴ・ホワイトヘッドも試験飛行中に事故を起こしている。

出典

  1. ^ 航空機年鑑『ジェーン世界の航空機年鑑 (Jane's All the World's Aircraft)』
  2. ^ Tom D. Crouch 2023, pp. 352–353
  3. ^ Tom D. Crouch 2023, pp. 475–476
  4. ^ [1]
  5. ^ 女性には目もくれず 飛行機づくりに明け暮れたライト兄弟”. DIAMOND online 2017年9月7日. 2021年5月14日閲覧。
  6. ^ Telegram from Orville Wright in Kitty Hawk, North Carolina, to His Father Announcing Four Successful Flights, 1903 December 17”. World Digital Library (1903年12月17日). 2013年7月22日閲覧。
  7. ^ スノウ & マクミラン 2022, p. 147.
  8. ^ [2][3]
  9. ^ [4]
  10. ^ Tom D. Crouch 2023, pp. 14–15
  11. ^ Tom D. Crouch 2023, pp. 128–130
  12. ^ Tom D. Crouch 2023, p. 528
  13. ^ Tom D. Crouch 2023, p. 100
  14. ^ Tom D. Crouch 2023, p. 243
  15. ^ Tom D. Crouch 2023, pp. 161–166
  16. ^ Tom D. Crouch 2023, pp. 157–158
  17. ^ History of Soaring
  18. ^ “ライト兄弟復元機失速/初飛行100周年”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 2. (2003-12-18(夕刊)) 
  19. ^ Tom D. Crouch 2023, pp. 305–307
  20. ^ Tom D. Crouch 2023, p. 408
  21. ^ Tom D. Crouch 2023, pp. 532–533
  22. ^ Tom D. Crouch 2023, pp. 541–542
  23. ^ 人間は何を作ってきたか4 交通博物館の世界(NHK出版
  24. ^ McCullough, 2015, "The Wright Brothers", Epliogue pp. 260–261
  25. ^ 空を飛びたい!日本の航空史に名を残した偉人たち


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