ユーセイトップラン 戦績

ユーセイトップラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 06:41 UTC 版)

戦績

現役中に馬齢の表記方法が変更されたため、2000年までは旧表記で記載

4歳から5歳

栗東音無秀孝厩舎に入厩。デビュー1996年2月3日の4歳新馬戦で、結果は10着。1着馬から6秒遅れでタイムオーバーになり、出走停止となってしまった。その後ダートの未勝利戦に3回出走したが勝てず、10月13日新潟1800mの未勝利戦で初勝利。そして12月15日中京の尾張特別に勝って2勝目を挙げた。

明けて1997年京都の芝1800m戦に立て続けに3戦出走した後、中京の熱田特別を勝って準オープンに昇格。しかし、昇格後勝てないまま5歳秋を迎えてしまい、900万下に降格してしまう。その後、11月23日に中京の豊明特別に勝ち、再び準オープンに昇格した。

6歳時

1998年、寿ステークスで4着となった後の1月17日、格上挑戦となる京都芝3000mの万葉ステークスに出走。9番人気の低評価を覆し、ステイゴールドハナ差退けて1着となり、オープンクラスへ昇格した。

2月21日東京芝3200mの長距離戦、ダイヤモンドステークスに出走。6番人気まで単勝オッズが10倍以下という混戦となったが、ユーセイトップランは2番人気に支持された。道中は後方追走。直線で一気に伸びて、好位から抜け出したステイゴールドに1馬身1/2の差をつけて、6歳にして重賞初挑戦で初勝利を挙げた。

3月22日阪神大賞典ではメジロブライトシルクジャスティスの2強対決となる中、その2頭に続く3着を確保した。5月3日には天皇賞(春)に出走。4番人気と好評価を受けるも8着に終わる。続く目黒記念では4着、宝塚記念ではサイレンススズカの作り出すペースに合わなかったのか、13頭中12着と惨敗した。

11月7日アルゼンチン共和国杯に出走。宝塚記念で惨敗し、馬体重が前走から16kg減という事もあってか、12番人気と評価は低かった。道中はほぼ最後方に付けて追走。直線で上がり3ハロン33秒8の末脚を爆発させ、エーピーランドとの競り合いを制して1着となった。

その後出走したジャパンカップでは、エルコンドルパサーエアグルーヴスペシャルウィークといった強豪馬にはかなわず6着。有馬記念でもいいところが無く12着と惨敗した。

7歳以降

1999年。前年に制覇したダイヤモンドステークスでは13頭中13着と惨敗。その後も重賞戦線を渡り歩くも11着、10着、15着、13着。明けて2000年日経新春杯でも13着と惨敗続きであった。

2月11日、ユーセイトップランと仲の良かった同じ音無厩舎のエガオヲミセテが、放牧先である山元トレーニングセンターの厩舎火災により死亡してしまった。ユーセイトップランは火災から2日後の2月13日後藤浩輝と初めてコンビを組んでダイヤモンドステークスに出走したが、長く惨敗(10番手以下)が続き老齢だったため、7番人気がついたのでさえ不思議に思われた。スタート後は後方待機であったが、スパートをかけたのはいつもの4コーナーではなく、3コーナーあたり。そこから一気に捲り始めて4コーナーで先頭に立ち、直線でもそのまま押し切ってゴール。1年3ヶ月ぶりに勝利を挙げ、悲しみに暮れていた厩舎スタッフを勇気づけた。

しかし、天皇賞(春)を目指して調教中に右第3中足骨を骨折、戦線離脱を余儀なくされる。その年の天皇賞(秋)で復帰したが6着、続くアルゼンチン共和国杯では4着と健闘する。その後約1年間走りつづけたが勝つことはできず、2001年10月17日に登録を抹消。現役を引退した。


ユーセイトップラン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミルリーフ系ネヴァーベンド系
[§ 2]

*ミルジョージ
Mill George
1975 鹿毛
父の父
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
父の母
Miss Charisma
1967 鹿毛
Ragusa Ribot
Fantan
*マタティナ
Matatina
Grey Sovereign
Zanzara

タニイチパワー
1981 黒鹿毛
*ネヴァービート
Never Beat
1960 栃栗毛
Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Bride Elect Big Game
Netherton Maid
母の母
ロングパワー
1967 鹿毛
*ヒンドスタン
Hindostan
Bois Roussel
Sonibai
*マーシュメドウ
Marsh Meadow
Grey Sovereign
May Meadow F-No.11-f
母系(F-No.) 11号族(FN:11-f) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 4×5×4×5 = 18.75% Grey Sovereign 4×4 = 12.50% Nearco 5×5×5 = 9.38% [§ 4]
出典
  1. ^ [7]
  2. ^ [8]
  3. ^ [7]
  4. ^ [7][8]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o ユーセイトップラン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月7日閲覧。
  2. ^ 『優駿』2012年2月号、143頁。 
  3. ^ ユーセイトップランの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月7日閲覧。
  4. ^ ユーセイトップラン 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月7日閲覧。
  5. ^ 引退名馬 - ユーセイトップラン2015年2月27日閲覧
  6. ^ 引退名馬 - NEWSユーセイトップランの死亡について
  7. ^ a b c ユーセイトップラン 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月7日閲覧。
  8. ^ a b c ユーセイトップランの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月7日閲覧。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ユーセイトップラン」の関連用語

ユーセイトップランのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ユーセイトップランのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのユーセイトップラン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS