マイクロソフトの歴史 1985年-1991年:OS/2の消長

マイクロソフトの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 03:13 UTC 版)

1985年-1991年:OS/2の消長

マイクロソフトキャンパスの正面に置かれた看板。レドモンドキャンパスはおよそ750,000 m2以上を占め、28,000人の従業員を抱えている。[15]

1985年、マイクロソフトの最初の国際生産施設がアイルランドに設立された。 同年11月20日、マイクロソフトはMicrosoft Windowsの最初のバージョンを発売した。当初、これはMS-DOSオペレーティングシステムのグラフィックを拡張したものであった。8月、マイクロソフトとIBMはOS/2と呼ばれる新しいオペレーティングシステムの開発で提携を結んだ。OS/2は、IBMの独占するIBM PS/2と呼ばれる新しいハードウェアとともに発売された。1986年2月16日、マイクロソフトはワシントン州レドモンドに移転した。およそ1ヶ月後の3月13日、マイクロソフトは株式を公開し、一株あたり21.00米ドルで6100万米ドルの資金を集めた。その日の終わりには、株は28.00米ドルにまで上昇していた。1987年、マイクロソフトはOS/2の最初のバージョンをOEMにリリースした。

一方、マイクロソフトは優れたオフィス製品を発表し始めた。Microsoft Worksには、ワードプロセッサ表計算データベースなどのオフィスアプリケーションに見られる機能が統合された。Worksは、Macintosh向けのアプリケーションとして1986年の末に発売された。Worksは後に、Microsoft WordMicrosoft Bookshelf(1987年に発表された辞書ソフトウェアで、マイクロソフト初のCD-ROM製品)などの他製品とともに発売されることになった。後に、1989年8月8日、マイクロソフトは最も大きな成功を収めたオフィス製品であるMicrosoft Officeを発表した。Worksと異なり、OfficeはMicrosoft WordやMicrosoft Excelなどの、個別のアプリケーションの集合であった。WordやOfficeはほとんどマイクロソフト内部で開発されていたが、他社製品に自社のブランドをつけて販売するという戦略も行われた。例えば、1988年1月13日に発売された企業向け関係データベース管理システム (RDBMS) であるMicrosoft SQL Serverは、Sybaseからライセンスされた技術に基礎を置いていた。

1990年5月22日、マイクロソフトはWindows 3.0を発売した。これは、合理化されたユーザインタフェース80386プロセッサ向けの改良されたプロテクトモードなどの新機能を誇り、2週間の間に10万本を売り上げた。1991年5月16日に社員向けに書かれた内部メモの中でビル・ゲイツは、OS/2との提携は終わった、これからはWindowsおよびWindows NTカーネルに力を注ぐ、と発表した。一部の人々、特にWindowsを軽視してOS/2に対して資源を割いていた人々はこれに驚き、騙されたとしてマイクロソフトを告訴した。このOS/2からの転換は、この業界においてしばしば「the head-fake」と呼ばれることがある。翌年にはOS/2の人気は落ち込み、Windowsは急速に人気プラットフォームへと成長した。1991年という年はまた、計算機科学の研究組織であるマイクロソフトリサーチが設立され、法人・個人の両方に人気を得た開発製品Microsoft Visual Basicが発表された年でもあった。


注釈

  1. ^ 当初マイクロソフトは25,000ドルで非独占的ライセンスを購入した。その後50,000ドルを追加して全ての権利を買い取ったが、後にSCPと訴訟沙汰となり、結局マイクロソフトはSCPに和解金として92.5万ドルを支払っている(『帝王の誕生』、400頁)。

出典

  1. ^ a b c NHKスペシャル新・電子立国』第1巻「ソフトウェア帝国の誕生」(相田洋著、日本放送出版協会1996年)pp.120 - 123
  2. ^ ポール・アレン『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』講談社、2013年、125頁。 
  3. ^ 『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』、133頁。 
  4. ^ 『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』、141頁。 
  5. ^ 『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』、148頁。 
  6. ^ メインズ&アンドリュー『帝王の誕生』三田出版会、1995年、124頁。 
  7. ^ 『帝王の誕生』、135頁。 
  8. ^ 『帝王の誕生』、109頁。 
  9. ^ a b 『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』、146頁。 
  10. ^ 『帝王の誕生』、115頁。 
  11. ^ a b c 『帝王の誕生』、137頁。 
  12. ^ a b 『帝王の誕生』、112頁。 
  13. ^ 『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』、147頁。 
  14. ^ 『帝王の誕生』、149頁。 
  15. ^ Seattle Post-Intelligencer Staff (2005年5月18日). “Redmond council OKs Microsoft expansion”. Seattle Post-Intelligencer. http://www.seattlepi.com/local/224768_microsoft18.html 2006年7月4日閲覧。 
  16. ^ マイクロソフト (2008年2月22日). “マイクロソフト、相互運用性の強化に向けたテクノロジ プラクティスとビジネス プラクティスの変更を発表”. 2008年10月16日閲覧。





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