ホセ・カンセコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 02:08 UTC 版)
経歴
プロ入り前
キューバのハバナに生まれ、両親がキューバ革命によって財産を没収された。1965年にフィデル・カストロ政権が反体制派のアメリカ合衆国への移住を認めたことに伴い、家族・従兄弟・親戚と共にフロリダ州マイアミへ移住した。マイアミにはキューバ人コミュニティが形成されており、ラファエル・パルメイロも同様にキューバから移住していた。
アスレチックス時代
1982年のMLBドラフトでオークランド・アスレチックスから15巡目に指名を受け、入団した。
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1989年10月7日のALCS第4戦 初めてスカイドームの5階席を直撃する本塁打(MLB.comによる動画) |
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1993年5月26日 飛球を頭に当てて本塁打にしてしまう珍プレー(MLB.comによる動画) |
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1993年5月29日 投手デビュー(MLB.comによる動画) |
1985年はマイナーリーグのAA級・AAA級合計で打率.333・36本塁打・127打点を記録し、9月2日の対ボルチモア・オリオールズ戦でMLB初出場。また、同年のベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間MVPを受賞した。
1986年はレギュラーを獲得し、前半戦で打率.274・23本塁打・78打点を記録、オールスターゲームに初選出された。後半戦は打率.196と調子を落とし、打率.240・175三振ながら33本塁打・117打点を記録。ウォーリー・ジョイナーを抑えて新人王に輝いた[3]。オフの日米野球でMLB選抜の一員として日本を訪れ、日本のファンにも強い印象を植え付けた。
1987年は31本塁打・113打点を記録し、同年に新人ながら49本塁打を放って本塁打王のタイトルを獲得した、マーク・マグワイアとのコンビはバッシュ・ブラザーズと呼ばれた。
1988年4月に「40-40(40本塁打40盗塁)を狙う」と宣言[4]。当時、この記録の達成者は皆無でメディアの反応も冷ややかだった。7月3日のトロント・ブルージェイズとの試合で1試合3本塁打。2年ぶりにオールスターゲームに選出され、初の先発出場を果たす。9月18日にはカンザスシティ・ロイヤルズのブレット・セイバーヘイゲンから40本目の本塁打を放つ。9月23日には40盗塁に到達し、史上初の40本塁打・40盗塁を達成。9月は打率.393・8本塁打で月間MVPを受賞した。最終的に打率.307・42本塁打・124打点・40盗塁、リーグトップの長打率.569を記録し、本塁打王・打点王の二冠を獲得し、チームの地区優勝に大きく貢献。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦でロジャー・クレメンスから同点の2点本塁打を放つなど3本塁打を記録し、チームは4連勝でリーグ優勝。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第1戦の第1打席で満塁本塁打を放つが、チームは自身の頭上を越えるカーク・ギブソンの逆転サヨナラ本塁打で敗戦。その後は無安打で打率.053に終わり、チームも1勝4敗で敗退した。オフにMVPを満票で受賞し、シルバースラッガー賞も受賞した。
1989年は左手首を骨折して65試合の出場に留まるが、17本塁打・57打点を記録し、チームは地区連覇。ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第4戦で本塁打を放ち、リーグ連覇に貢献。ベイエリア・シリーズとして注目を集めたサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズでは、第3戦の試合開始前にロマ・プリータ地震がベイエリア一帯を襲ったため中止となり、10日間中断される。再開後の第3戦で3点本塁打を放つなど打率.357を記録し、チームは4連勝で15年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。
1990年は5月に打率.353・13本塁打と絶好調で2度目の月間MVPを受賞。途中に故障者リスト(DL)入りもあったものの37本塁打・101打点を記録するが、のちに再発する背中の違和感を覚え始める。レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.182と振るわなかったが、チームはリーグ3連覇。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは安打が第2戦で放った本塁打のみと不振を極めたために第4戦では先発を外され、チームは4連敗で敗退した。2度目のシルバースラッガー賞を受賞した。
1991年は44本塁打・122打点の好成績で2度目の本塁打王のタイトルを獲得し、球団史上ジミー・フォックス以来となる2度目のシーズン40本塁打以上を記録。MVPの投票でも4位に入った。3度目のシルバースラッガー賞を受賞した。
レンジャーズ時代
1992年8月31日にジェフ・ラッセル、ルーベン・シエラ、ボビー・ウィットプラス金銭とのトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍。
1993年5月26日の対クリーブランド・インディアンス戦でカルロス・マルティネスの放った打球を見失ってボールが頭に当たり、それがフェンスを越えて本塁打となる珍プレーを演じ、試合後にナショナル・プロフェッショナル・サッカーリーグのハリスバーグ・ヒートがプロサッカー選手としてのオファーを出した[5]。5月29日の対レッドソックス戦では1-12と大量リードを許し、ファンサービスの一環で8回に投手としてマウンドに上がったが、3失点を喫した上に肘を故障。6月23日を最後に離脱し、トミー・ジョン手術を受ける事になった。手術によりかつての強肩が衰え、翌年からは指名打者としての出場が多くなった。
1994年は6月13日の対シアトル・マリナーズ戦で3本塁打を含む5安打・8打点を記録。1994-95年のストライキでシーズンが8月に打ち切られたが、31本塁打・90打点と復活の兆しを見せ、カムバック賞を受賞。
レッドソックス時代
1994年12月9日にオーティス・ニクソン、ルイス・オルティスとのトレードでレッドソックスへ移籍した。
1995年は後半戦で打率.325・19本塁打と調子を上げ、打率.306・24本塁打・81打点を記録し、チームの地区優勝に貢献。クリーブランド・インディアンスとのリーグディビジョンシリーズでは13打数無安打と全く打てず、チームも3連敗で敗退した。
1996年は前半戦で打率.305・26本塁打・63打点と大活躍を見せるが、その後は故障で長期離脱し、96試合の出場に終わる。それでも28本塁打・82打点・出塁率.400・長打率.589の好成績だった。
古巣アスレチックス復帰
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2000年8月10日 ヤンキー・スタジアムの3階席を直撃する本塁打(MLB.comによる動画) |
1997年1月27日にジョン・ワズディンプラス金銭とのトレードで古巣アスレチックスに復帰し、バッシュ・ブラザーズが復活したものの、マグワイアが7月末にトレードで移籍し、自身も故障で8月26日を最後に離脱して打率.235・23本塁打と期待外れに終わった。オフにフリーエージェント(FA)となった。
ブルージェイズ時代
1998年2月4日にブルージェイズと契約を結んだ。大きな故障も無くシーズンを過ごし、打率.237・リーグワーストの159三振ながら自己最高の46本塁打・29盗塁を記録した[6]。4度目のシルバースラッガー賞を受賞した。オフに再びFAとなる。
デビルレイズ時代
1998年12月11日にタンパベイ・デビルレイズと契約を結んだ。
1999年は4月14日の対ブルージェイズ戦で通算400本塁打を達成。前半戦で31本塁打・69打点を記録して7年ぶりにオールスターゲームに選出されたが、背中の故障により出場辞退。その後、椎間板ヘルニアの手術を受けて114試合の出場に留まった。
2000年は5月下旬から約2か月DL入り。ウェイバー公示された。
ヤンキース時代
2000年8月7日にニューヨーク・ヤンキースと契約を結んだが、目立った成績は残せなかった。チームはリーグ優勝を果たし、自身10年ぶりとなるニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは代打の1打席のみの出場で、結果は三振だった。
ベアーズ時代
2001年1月16日にアナハイム・エンゼルスと契約を結んだが、3月28日に放出された。その後に北米独立リーグ、カナディアン・アメリカンリーグのニューアーク・ベアーズで成績を残した。
ホワイトソックス時代
2001年6月21日にシカゴ・ホワイトソックスと契約を結び、16本塁打を記録。
2002年2月21日にモントリオール・エクスポズと契約を結んだが、3月27日に放出された。4月24日にホワイトソックスと再び契約を結んだものの、MLB昇格はならずに10月24日に放出され、現役を引退した。
2004年にはロサンゼルス・ドジャースから現役復帰を試みたが、実現しなかった。
ステロイド疑惑
2005年2月13日放送、アメリカCBS放送の人気番組「60ミニッツ」のインタビューの中で、過去に筋肉増強剤のアナボリックステロイドを使用していた事を告白し[7]、MLB選手の多くが使用していると指摘して話題となった。翌14日に出版した暴露本 『禁断の肉体改造』[8] でもステロイド使用を認めた[9]。 その中でMLB選手の85%がステロイドを使用している、もしくは使用した事があると述べた。特にマグワイア、ジェイソン・ジアンビ、パルメイロ、イバン・ロドリゲス、フアン・ゴンザレスらは実名で書かれ、注射を射つ場面をカンセコが目撃したと書かれている。ほとんどの名指しされた選手はステロイド使用を否定した中、ジアンビはバルコ・スキャンダルの法廷で使用を認める供述を行った。また、この本は上記の実名選手を名指ししている内容もさる事ながら、全体的に『薬物使用はフェアでないと知っていながらつい使ってしまった』というような罪の告白では無く、『ステロイドって凄い薬だ! ホームランもガンガン打てるし、アレもでっかくなってモテモテで超ハッピー。副作用も全然無いね。みんなもやりなよ!』という使用を推奨する論調で、不謹慎であるとして批判を多く浴び、結果として本が有名になってしまい、ベストセラーとなった。
ステロイドで出来上がった肉体はベンチプレス270kgをマークした。これはステロイド時代においても類を見ない記録であったという。
2005年3月17日から開かれたステロイド疑惑に関する合衆国下院公聴会では、パルメイロが自身の薬物使用を否定した一方で、マグワイアは自身の使用に関する質問に対する返答を拒んだりするなど不審な答弁が目立った。なお、パルメイロは同年8月1日に薬物検査で陽性となり、10日間の出場停止処分を受けた。
カンセコ自身はステロイドの副作用を否定しているが、元妻ジェシカ・カンセコの自伝によれば、初めて性的関係を持った際に異常に巨大化した陰茎に反して萎縮した睾丸(ステロイド剤を使用すると精子が死滅し睾丸が萎縮する)を目にした事、子作りの際に精子を復活させるため一年間ステロイドの使用を止めたところ、禁断症状により躁うつ状態に陥っていたとされる。
後年日刊ゲンダイのインタビューを受けた際には薬物使用を寧ろ忌避する立場を取り、過去のステロイド使用を過ちとして述懐していた[10]。
北米独立リーグ時代
2006年6月29日にゴールデンベースボールリーグのサンディエゴ・サーフドーグズと1年契約を結んだ。6度のMLBオールスターゲーム出場経験があるカンセコだが、独立リーグでの給料はリーグで定められている最高額の月給2500ドルであった。リーグ発表によると、カンセコはドーピング検査に協力すると述べているとされている。しかし直後の7月5日にロングビーチ・アーマダへトレードされた。本人の希望によるもので、理由は「家庭内事情」と述べている。7月31日のリーグの本塁打競争では優勝を飾った。同リーグのオールスターゲームでは余興として投手も務めた(結果は3.1回を投げて3被安打・1与四球・4失点)。
2010年8月14日にユナイテッドリーグ・ベースボールのラレド・ブロンコスと指名打者兼ベンチコーチとして契約を結んだ。
2011年4月11日にノース・アメリカンリーグのユマ・スコーピオンズの選手兼任監督に就任した。
2012年2月にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのキンタナロー・タイガースと契約したが、薬物の過剰摂取から体内でテストステロンを分泌出来なくなり、「テストステロン促進薬を使用しないと生きられない」としてドーピング検査を拒否したために出場停止処分を受けた[11]。4月20日にカナディアン・アメリカンリーグのウースター・トルネードズとの契約が発表されたが[12]、給料への不満から20試合の出場に留まった。8月3日にノース・アメリカンリーグのリオグランデバレー・ホワイトウィングスと契約したが[13]、「家庭内事情」のために1試合も出場せずに終わった[14]。
2013年5月19日に選手兼任コーチとしてユナイテッドリーグ・ベースボールのフォートワース・キャッツと契約を結んだ事が発表された[15]。同年限りで退団。
2015年はパシフィック・アソシエーションのソノマ・ストンパーズとピッツバーグ・メトルでプレーした。
2018年はフロンティアリーグのノーマル・コーンベルターズで3試合に出場したが、3打席ともに三振に終わった。
- ^ “Jose Canseco says he’d be glad to replace Rob Ford as Toronto’s mayor, but what would his platform look like?” (英語). National Post. 2013年3月18日閲覧。
- ^ “Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars” (英語). Bleacherreport.com. 2012年3月25日閲覧。
- ^ ““Baseball Awards Voting for 1986” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年8月31日閲覧。
- ^ “Jose Canseco's 40-40 Vision Starting to ComeIntoFocus”. Los Angeles Timeslanguage=英語. 2013年7月13日閲覧。
- ^ “SPORTSPEOPLE:SOCCER;Unintended 'Header' Earns Canseco an Offer” (英語). TheNew York Times. 2013年7月2日閲覧。
- ^ “大谷翔平 ボンズ、カンセコらに並ぶ6人目の45本塁打25盗塁 元広島ソリアーノも”. デイリースポーツ online (2021年9月30日). 2022年8月25日閲覧。
- ^ “Canseco: Steroids made baseball career possible” (英語). USA Today. 2013年6月21日閲覧。
- ^ 日本語訳版はJose Canseco 著、ナガオ勝司 訳『禁断の肉体改造』2005年。ISBN 978-4583038735。
- ^ Jose Canseco (2006). Juiced: Wild Times, Rampant 'roids, Smash Hits, And How Baseball Got Big. ISBN 978-0060746414
- ^ メジャーの薬物禍を暴露した元強打者ホセ・カンセコは今… 日刊ゲンダイ 2015年7月2日
- ^ “カンセコ出場停止 ドーピング検査拒否で”. 日刊スポーツ. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Slugger Jose Canseco signs with Worcester Tornadoes” (英語). Telegram.com. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Jose Canseco set to play Saturday” (英語). ESPN. 2013年3月18日閲覧。
- ^ “From Canseco to 'Manseco'” (英語). The Kingston Whig-Standard. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Ex-Ranger Jose Canseco to play series with Fort Worth Cats at age 48, face twin brother” (英語). The Dallas Morning News. 2013年6月19日閲覧。
- ^ “元MLBホセ・カンセコ氏 1RKO負け”. AFPBB News. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Jose Canseco and Danny Bonaduce Fight Ruled a Draw” (英語). Larry Brown Sports. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Ex-baseball star Jose Canseco accused of taking a dive in boxing match after being knocked out in just TEN SECONDS”. The Irish Sun (2021年2月6日). 2021年2月9日閲覧。
- ^ “Video: Former MLB star Jose Canseco TKO’d in boxing match by some random intern”. Bloody Elbow (2021年2月5日). 2021年2月9日閲覧。
- ^ “Jose Canseco: Guardian of Truth” (英語). ESPN. 2013年6月20日閲覧。
- ^ “<格闘技>チェ・ホンマン、豪勢カンセコに1ラウンドTKO勝”. Innolife.net. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Broward Judge Fines Canseco $500” (英語). Sun-Sentinel. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “A's Canseco Is Arrested” (英語). The New York Times. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “【イタすぎるセレブ達】あのホセ・カンセコがマドンナとの不倫を激白!”. Techinsightjapan. 2013年3月28日閲覧。
- ^ “SPORTS PEOPLE: BASEBALL; Canseco Enters Plea” (英語). The New York Times. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Canseco twins plead guilty to felony” (英語). CBC.ca Sports. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Canseco Sent Back To Jail For A Month” (英語). Sun-Sentinel. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Jose Canseco Loses Home To Foreclosure” (英語). CBSNews.com. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Stay Away Jose Canseco” (英語). Chicagonow.com. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Jose Canseco wants to run for Toronto mayor, but first he needs to ‘work out the citizen thingg’” (英語). National Post. 2013年6月19日閲覧。
- ^ “Jose Canseco accused of sexual assault in Las Vegas” (英語). SportingNews.com. 2013年6月20日閲覧。
- ^ “Jose Canseco Cleared In Las Vegas Rape Case” (英語). FOXNews.com. 2013年6月20日閲覧。
- ^ JoseCansecoのツイート(403315055594176512) 2014年1月30日閲覧。
- ^ JoseCansecoのツイート(403567569149255680) 2014年1月30日閲覧。
- ^ “元MLBのカンセコ氏、誤って自身の手に発砲 米報道”. AFP通信 (2014年10月29日). 2014年11月19日閲覧。
- ^ “カンセコ氏 まさかの悲劇…拳銃誤射の影響で左手中指取れる”. スポーツニッポン (2014年11月16日). 2014年11月19日閲覧。
- ^ “ウソ?ホント?カンセコ氏がネットオークションに出品した物とは…”. スポーツニッポン (2014年11月18日). 2014年11月19日閲覧。
- ^ “拳銃誤射で指取れたカンセコ氏「ポーカー中」はうそだった”. スポーツニッポン (2014年11月22日). 2014年11月22日閲覧。
固有名詞の分類
ニューヨーク・ヤンキースの選手 |
ジョン・パセラ ジョン・オルルド ホセ・カンセコ ラトロイ・ホーキンス ボビー・ボンズ |
ボストン・レッドソックスの選手 |
ジェレミー・ハーミダ ジョン・オルルド ホセ・カンセコ ジミー・コリンズ レアール・コーミエ |
オークランド・アスレチックスの選手 |
ジェレミー・ハーミダ エリック・チャベス ホセ・カンセコ J.J.ファーマニアック ジミー・コリンズ |
シカゴ・ホワイトソックスの選手 |
チャーリー・ルート アーリー・ウィン ホセ・カンセコ ガイ・ホフマン オジー・ギーエン |
テキサス・レンジャーズ及びその前身球団の選手 |
トニー・マウンス スコット・エリクソン ホセ・カンセコ ガイ・ホフマン ボビー・ボンズ |
トロント・ブルージェイズの選手 |
フランク・フランシスコ ジョン・オルルド ホセ・カンセコ ライル・オーバーベイ ランディ・ルイーズ |
タンパベイ・レイズ及びタンパベイ・デビルレイズの選手 |
ダン・ジョンソン 徐在応 ホセ・カンセコ オジー・ギーエン ジェフ・ニーマン |
キューバの野球選手 |
トニー・ペレス ルディ・レジェス ホセ・カンセコ ホゼ・アコスタ オマール・リナレス |
ミッチェル報告書に記載された選手 |
チャド・アレン アダム・リグス ホセ・カンセコ デニー・ネーグル ラリー・ビグビー |
キューバの総合格闘家 |
ヘクター・ロンバード ホセ・カンセコ ハビエル・バスケス ホルヘ・マスヴィダル |
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