ガリシア州 ガリシア州の概要

ガリシア州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 13:30 UTC 版)

Galicia
スペイン自治州



紋章

州歌: Os Pinos
州都 サンティアゴ・デ・コンポステーラ
最大都市 ビーゴ
公用語 カスティーリャ語ガリシア語
行政単位 自治州
 •  スペイン
国会(下院)
国会(上院)
州議会
州首相
23議席
19議席
75議席
アルフォンソ・ルエダ英語版
PPdeG
下位区分 4県、53コマルカ、314自治体
4県
面積 第7位
 • 総計 29,574 km²(5.8%)
人口 (2013) 第5位
 • 総計 2,765,940 人¹
 • 人口密度 93.44 人/km²
住民呼称 galego/-a
GDP(名目) 第6位
 • 総計 56,670 mill. (2010)
 • 一人当たり 20 726
HDI 0.948 (第10位)
ISO 3166-2 ES-GA
固有言語 ガリシア語
自治州憲章 1981年4月28日
祝祭日 7月25日(ガリシア民族の日)
公式サイト
1スペイン全体の6.13%

地理

ガリシアはおよそ北緯41度から北緯44度の間に位置する。年間を通して穏やかな気候で、最寒月でも摂氏8度以下になることは少ない。1年を通じて雨が降り、年間降水量も豊富である。しかし、内陸部に入ると気候も気温・降水量も違ってくる。また、入り江の多い複雑な海岸線で知られており、海面上昇で形成されるリアス式海岸の語源となったのがこの地域で、「リアス」とはガリシア語あるいはカスティーリャ語(スペイン語)での入り江(リア)の複数形である。この地形のために漁業が盛んであり、特にポンテベドラ県沿岸部のリアス・バイシャスでは養殖漁業が盛んである。また、観光客には美しい風景が魅力となっている。地層は多様であるが、変成岩花崗岩が主である。なお、この花崗岩はサンティアゴ・デ・コンポステーラなどで舗装材などとして用いられた。

主なリア:

リア・デ・ポンテベドラ
  • リア・デ・フェロル
  • リア・デ・ベタンソス
  • リア・デ・コルーニャ
  • リア・デ・ムーロス・エ・ノイア
  • リア・デ・アロウサ
  • リア・デ・ポンテベドラ
  • リア・デ・ビーゴ

スペイン内陸とは異なり、海洋性の気候のために手付かずの緑の森が残されている。その森は、大西洋性気候の場所ではオークブナを中心とする大西洋型森林、地中海性気候の場所ではコルク樫コナラを中心とする森、松やユーカリなど最近植林された樹木などの林の3種類に分けられる。 州の内陸部はなだらかな山地で比較的標高が高く、東に行くほど標高が高く北部にテーラ・チャ高原がある。大きな川はないが無数の小さな川が横切っている。山地は険しくないが、内陸の人口は少なく、開発は遅れている。

主な川:

シル川
  • ミーニョ川(州最大の河川でルーゴ県東部の山岳地帯を水源としている。)
  • シル川
  • ウジャ川
  • タンブレ川
  • サール川

自然の豊かなガリシアだが、近年は環境問題を抱えている。森林伐採が進み、製紙業のために導入されたユーカリが生態系のバランスを崩している。オオカミやシカなどの動物も減少傾向にある。2002年11月19日にはガリシア州近くの大西洋上で一重船殻構造のタンカーであるプレスティージ号が沈没して重油が流出し英語版、ガリシア州の沿岸は大量の重油によって汚染され、付近に住む海鳥などに大きな被害が出た上、水産業にも打撃を受けた[1]

ガリシアの地名

ガリシア地方の居住形態は、一部の都市部の中心地域を外れれば、多くの集落が分散しているため、地名が多い。一説によると、スペインの地名の半数近くがガリシアのものであるともいわれる。したがって、出身を表す場合、コンセージョ(市町村に相当)以外に教区(パロキア)を示すことも普通であり、また、その教区内の集落(アルデア)にまで言及することも珍しくない。

歴史

鉄器時代の家を発展させたガルシアの東にあるen:Palloza

トリアカステーラにある Eirós Cave からは、ネアンデルタール石器物や動物の遺骸が見つかっており、古くから人の居住があったことが判ってる。この海の沿岸周辺には新石器時代頃の巨石記念物が残されており、巨石文明があったことが示されている[2]

ガリシアの名は古代ローマの属州ガラエキア(現在のスペイン西部とポルトガル北部)から来ている[3]。そのガラエキアの起源はギリシア語の「カライコイ」(Kallaikói、καλλαικoι、ヘロドトスが記述を残す)から来ており、古代にドウロ川(カスティーリャ語でドゥエロ川)以北に住んでいたケルト系の民族を指していた。この地域で話されているガリシア語は俗ラテン語(口語ラテン語)を起源とするロマンス諸語の一つであり、この地でのケルト語はすでに滅んでいる。キリスト教は、ローマ時代末期に様々なルートを辿ってガリシアへ伝来した。

5世紀から6世紀にかけては、スエビ王国ガリシア王国)の中心地であったが、584年に西ゴート王レオヴィギルドに征服された。この時代に、ガリシア北部ブリトニア(es:Britonia)にブリトン人移民による司教座ができた。このブリトン人たちは、アングロ=サクソン人グレートブリテン島侵攻から逃れてやってきた人々である。8世紀にイスラム教徒に征服されたものの、実効支配は及ばないまま739年アストゥリアス王国アルフォンソ1世(ガリシア語ではアフォンソ1世、Afonso I)に奪い返された。以降レオン王国の一部となり、カスティーリャ王国に受け継がれた。1065年フェルナンド1世の死後に領土が分割され、ガリシアは一時的に別の王国となったが、すぐにアルフォンソ6世に統合された。

9世紀から、サンティアゴ・デ・コンポステーラサンティアゴの聖遺物が発見されサンティアゴ信仰が盛んになり、レコンキスタ運動の中でのキリスト教徒の象徴となった。中世以後、サンティアゴ・デ・コンポステーラへは巡礼路を巡ってヨーロッパ中からキリスト教徒が巡礼するようになった。人々の往来は、この地方へのロマネスク美術の伝播、吟遊詩人の詩や音楽が伝えられるなど、文化的な交流をもたらした。9世紀から10世紀にかけて、沿岸部をヴァイキングノルマン人が荒らしまわり、現在もカトイラ(ポンテベドラ県)には防衛用の塔が残る。

13世紀、アルフォンソ10世はカスティーリャ語を国家の言語と定め、宮廷や政治の場で使用させたが、文学の言語としてはガリシア語を使用した。カスティーリャ優位の中央集権体制が進むにつれ、ガリシア語は徐々に衰退していった。おおまかに16世紀から18世紀半ばまでの時期は、ガリシア語のセクロス・エスクーロス(Séculos Escuros、暗黒時代)と呼ばれ、ガリシア語が書き言葉として使われる伝統は途絶えてしまったが、口語として途絶えることはなかった。

1833年それまであった7県(ラ・コルーニャ、サンティアーゴ、ベタンソスモンドニェード、ルーゴ、オレンセ、トゥイ)が現行の4県に再編され、現在にいたっている。19世紀にガリシア民族主義、連邦主義が勃興する。しかし1846年、自由主義者の将軍ミゲル・ソリスが起こしたクーデターは、ラモン・マリア・ナルバエス政権によって弾圧された。替わって盛り上がりを見せたのは社会的・文化的手段としてのガリシア語復興運動(レシュルディメント)であった。作家ロサリーア・デ・カストロ、マヌエル・ムルギア、エドゥアルド・ポンダルらがその代表者である。

20世紀の独裁者フランシスコ・フランコはガリシア地方フェロルの出身であったが、フランコ時代にはガリシアの自治は廃止され、公でのガリシア語の使用は禁止された。1978年スペイン新憲法によって自治州制度が導入され、1980年12月20日ガリシア自治憲章ガリシア語版が住民投票によって可決成立、ガリシア自治州が創設された。


注釈

  1. ^ レアル・アカデミア・ガレーガによるガリシア語の正式な規範ではGalicia(ガリシア)であるが、2003年の正書法改定により、Galiza(ガリサ)の使用も認められることとなった。Galizaはポルトガル語との再統合を目指す再統合派スペイン語版が定める正書法による形式で、ポルトガル語と同一形式で、ナショナリスト、分離主義者、左翼活動家などが主に使用している。Galiciaの形式はそれ以外の多数によって使われる。

出典

  1. ^ Archie Smith 『プレスティージ号事故が生んだ課題と対応の現状』 (2004年)
  2. ^ Antonio de la Peña Santos, Los orígenes del asentamiento humano Archived 24 May 2013 at the Wayback Machine., (chapters 1 and 2 of the book Historia de Pontevedra A Coruña:Editorial Vía Láctea, 1996. p. 23.
  3. ^ 桑原真夫「ガリシアという異郷」/ 坂東省次・桑原真夫・湯浅武和編著『スペインのガリシアを知るための50章』明石書店 2012年 19ページ
  4. ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
  5. ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
  6. ^ 大木雅志「スペイン憲法公布後のガリシアとガリシア自治州憲章」/ 坂東省次・桑原真夫・湯浅武和編著『スペインのガリシアを知るための50章』明石書店 2012年 232ページ
  7. ^ CGはCoalición Galega(ガリシア同盟)
  8. ^ Partido Socialista Galego-Esquerda Galega(ガリシア社会党=ガリシア左翼)
  9. ^ Resultados de las elecciones al Parlamento de Galicia en el Archivo Histórico Electoral del Área de Análisis, Estudios y Documentación de la Presidencia de la Generalidad Valenciana” (スペイン語). Argos(Subdirección de Análisis y Políticas Públicas de la Presidencia de la Generalitat). 2012年8月9日閲覧。
  10. ^ Eleccións 2012 Parlamento de Galicia” (ガリシア語). ガリシア自治州政府. 2012年10月22日閲覧。
  11. ^ NCG Banco empezará a operar el 1 de septiembre” (スペイン語). Xornal de Galicia. 2011年7月26日閲覧。
  12. ^ Pecha Galicia Hoxe” (ガリシア語). Galicia Hoxe. 2011年6月29日閲覧。





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