からくり 有名なからくり

からくり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 16:09 UTC 版)

有名なからくり

万年自鳴鐘

万年時計こと万年自鳴鐘和時計

1851年(嘉永4年)に発明家田中久重が発明した万年自鳴鐘は、重要文化財に指定されている[7]。ぜんまい式で、一度巻けば一年動くという驚異的な持続時間を実現した。

茶運び人形

茶運び人形 大英博物館蔵。

座敷からくりの代表作。お茶を入れた茶碗を人形が持った茶托に乗せるとお客のいる所までお茶を運び、客が茶碗を取ると停止する。お茶を運ぶ距離は予めセットする。客が茶を飲み、空になった茶碗を茶托に戻すと、踵を返して茶碗を元の場所まで運ぶ。ぜんまいと歯車、カム、棒てんぷでその動きを制御する。現在良く知られる茶運び人形は細川半蔵著の『機巧図彙』から復元されたものである。ただし現在各地に残る茶運び人形は機構上、『機巧図彙』で解説されるものとは異なるところがあり、『機巧図彙』に沿って制作された江戸時代のものは確認されていない。

昭和57年(1982年)には日本模型からプラスチック製の茶運び人形が発売された。平成14年(2002年)11月には「学研の大人の科学シリーズVol.8」で発売され、平成19年(2007年)6月29日に発売された大人の科学Vol.16ではミニ茶運び人形が付録についた。

弓曳童子

弓曳童子(レプリカ)
弓曳童子

現存するオリジナルは2体で、いずれも田中久重の製作。人形が矢立てからを取り、にセットしてに当てる座敷からくり。

人形の動作はぜんまいとカム、レバー、糸によって制御され、自動的に4本の矢を射ることができる。「田中久重によって、そのうち1本は的を外すように細工してある」との説明が一般に広まっているが、これは誤り。実際には、人形を修復した際に付属している矢をすべて新しく作りなおしており[8]、「新しく作った矢のうち1本が、たまたまうまく飛ばない」というのが事実。ちなみに、人形が座っている台座部分に取り付けられている小さな唐子(中国風の衣装を着た人形)と、唐子が回すハンドルの機構も、修復前のオリジナルには存在しなかった。この部分は修復の依頼者の意向により、新たに取り付けられたもの[9]。弓曳童子は、文字書き人形と並んで江戸からくりの最高傑作のひとつと言われている。

東野進が、平成2年(1990年)に徳川家から1体を発見し、平成3年(1991年)に伏見の前川家からもう1体を発見し、峰崎十五によって修復・復元された[10]。現在、徳川家旧蔵の弓曳童子はトヨタ産業技術記念館に、前川家旧蔵の弓曳童子は田中久重の故郷久留米市教育委員会に所蔵されている。同じ動きをする組立て模型キットが学研より発売されている。平成25年(2013年機械遺産61号に認定された。

文字書き人形

文字書き人形

発見されているオリジナルは2体。

1体はアメリカで発見された。平成3年(1991年)、アメリカの研究家から日本の研究家に、アメリカのコレクターが所有しているとの情報がもたらされたが、そのコレクターは、江戸時代の文字書き人形に関する知識は持っていなかった[11]。そこで日本の研究家からアメリカの研究家に、江戸時代のからくり人形に関する資料が逐次提供され、そのコレクターの理解と信頼を長年かけて獲得。平成14年(2002年)、人形売却の同意が取り付けられた。広く買い手が募られた結果、平成16年(2004年)に大阪府寝屋川市の東野進が購入した。この人形の製作に関する具体的な資料は見つかっていないが、台座を覆う衝立の模様が田中久重作の弓曳童子の台座の衝立と一致しており、久重作と推定されている。日本に持ち帰られた人形は、新しい所有者によって動かなかった機構が修理されると同時に、人形の顔や手が完全に塗り直され、衣装が新調され、さらに、台座の機構にはそれまでなかった装置が組み込まれ[12]、翌年の愛・地球博で展示された[13]。現在の所有者は久留米市教育委員会。

もう1体は右手と口に咥えた筆で「松」「竹」の二文字を同時に書ける文字書き人形で、平成21年(2009年)に安城市内の古民家から発見された。現在は安城市指定有形民俗文化財に指定され、安城市歴史博物館に所蔵されている。また九代目玉屋庄兵衛により複製品が製作され、同博物館に所蔵されている[14][15]

からくりみくじ

錦天満宮のからくりみくじ

京都錦市場東端の錦天満宮にある。人が近づくと神楽が鳴り出して機械仕掛けの獅子舞がはじまり、硬貨を投入して御籤(みくじ)の種類(英文、和英対訳、子供用など6種類)を選ぶと、神楽に合わせて獅子が舞いながら御籤を届ける仕掛けが人気。


注釈

  1. ^ 車輪の差動を利用し、台車の上に立つ人形がどの方向に進んでも常に南を指し示すというもの。『三国志』にも同様の記述がある
  2. ^ 飛騨国庸・調を免じられる代償として木工を京都に派遣する制度があり、制度廃絶後も飛騨工は木工・大工の名匠の通称となった。
  3. ^ 『機巧図彙』は3種の和時計と9種のからくり人形の構造、製作法について図入りで解説した首巻・上巻・下巻の三巻の書物。からくり人形の作り方を紹介する前に、その根本となる機械的仕組みが時計であることを示し、機械技術の啓蒙書としてまとめられている。この書物から実際に茶運び人形が復元された。 著者の細川半蔵(1749頃-96)は土佐藩出身の暦学・天文学者で、幕府の改暦事業に携わるかたわらこの『機巧図彙』を著した。半蔵というのは通称で名を頼直という。 他に写天儀(一種の天球儀と思われる)や行程儀(一種の万歩計)などの装置も製作した。
  4. ^ 山王祭で麹町より出されていた山車人形「太鼓打人形」(通称てけてん小僧)の頭部と手足等が、また神田祭の山車人形で神田連雀町より出されていた「熊坂」の頭部が伝存しており(現在見られる頭部以外の部分は関東大震災後の補作)、具体的な構造や操作については明らかではないが、「太鼓打人形」は太鼓を打つからくりが施されていたといわれ、「熊坂」は眼球が動くからくりが施されている。『広報千代田』NO.750(昭和63年4月20日発行)およびNO.1205(平成19年4月5日発行)参照。千代田区の文化財にも説明あり(太鼓打人形熊坂)。

出典

  1. ^ 日本国語大辞典』(第2版〔オンライン版〕、2007年)「からくり」の項より。他に語源説として、『嬉遊笑覧』、『大言海』の「絡み繰る」からという説、『言元梯』の「カハリクリ」(変転)の転とする説などが紹介されている。
  2. ^ 東海の山車祭り
  3. ^ 『からくり』(『ものと人間の文化史』)48頁以降。
  4. ^ 『弓曳童子の再生』6-12頁、46-47頁
  5. ^ [1][リンク切れ]
  6. ^ アーカイブされたコピー”. 2013年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月2日閲覧。
  7. ^ 文化遺産オンライン
  8. ^ 「よみがえる江戸からくり」峰崎十五 日本経済新聞 2004年3月5日文化面
  9. ^ 『弓曳童子の再生』35頁
  10. ^ 『弓曳童子の再生』6-8頁
  11. ^ 『完訳からくり図彙』26頁
  12. ^ 『完訳からくり図彙』27頁
  13. ^ Wooden robot in the 19th century (Karakuri Ningyo)
  14. ^ 「安城文字書き人形~その特徴と機構~」愛知工業大学 客員教授 末松良一
  15. ^ からくり人形、筆遣い鮮やか 愛知・安城、レプリカ披露 朝日新聞 2012年6月16日


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