鑑定結果
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三澤教授からの鑑定書は、1993年(平成5年)8月12日に福岡高裁に提出された。三澤教授によるDNA鑑定は、対象試料からACTP2 (ACTBP2)と呼ばれるマイクロサテライトの部位をPCR法で増幅させ、そのGAAAの4塩基の反復回数でDNA型を判定するというものであった。これは、マイクロサテライトをDNA鑑定に用いた日本で初めての例となった。鑑定結果は、被害者の膣内容物が含まれたガーゼ片からは被害者と同一のDNA型しか検出されなかったが、事件現場から採取された毛髪のうちの1本(符号16-1、台紙番号10、毛髪番号1)から、輿掛と同一のDNA型が検出されたというものであった。鑑定書によれば、血縁関係にない全くの他人が同一のDNA型となる確率は0.088%とされていた。 鑑定結果に驚いた弁護団は同日中に鑑定書を入手すると直ちに内容の精査に入ったが、読めば読むほど鑑定書に多くの問題があることが明らかになった。鑑定書には「鑑定には平成三年一一月一四日から平成五年八月一〇日までの六三六日を要した」と記されているにもかかわらず鑑定書の作成日付が「平成五年七月三一日」と記されていることをはじめ、鑑定データからは11/23型となるべき輿掛のDNA型が16/36型とされているなど、基本的な点や重要な点に多くの誤りが見つかった。全26ページ(本文9ページ、註・図等17ページ)の鑑定書中で、弁護団が発見した誤りは53か所に及んだ。また、膣内容物からは被害者のDNA型しか検出されなかったが、鑑定書には「この結果は、膣内容物中に精子が付着していなかった事を積極的に裏付けるものではない。勿論、輿掛良一の精子由来のDNAが膣内容物に存在しないという結論も導き出せない」と記述され、これは鑑定人が予断をもって鑑定にあたったことを感じさせるに十分であった。さらに、0.088%という確率を導いたデータベースのサンプル数は65と少なすぎて信頼性に疑問があることに加え、添付された表から計算すると正しくは0.178%であった。なお、弁護団は鑑定書が届いて1週間後の8月19日の時点ですでに鑑定結果が誤りであることを示す決定的な証拠をつかんでいたが、輿掛と弁護団のほかにはごく一部の者にしか知らせずに切り札として温存し、当面は鑑定書の矛盾や問題点を正面から追及していくこととした。 9月21日、鑑定結果を受けての裁判所・弁護団・検察三者の打ち合わせがもたれた。「この事件はDNAで決まりでしょう。いまさら、弁護団は何をされるのですか」という金澤裁判長に対して、弁護側はいくつかの誤りを示して鑑定の杜撰さを指摘し、三澤教授の尋問を求めた。裁判所側は三澤教授の多忙を理由に筑波大学での出張尋問を提案したが、弁護側は裁判公開の原則を盾に公判での尋問を譲らず、福岡高裁で鑑定人尋問が行われることになった。この打ち合わせの翌々日の9月23日、福岡高裁に三澤教授から鑑定書に対する訂正書が届き、32か所が訂正された。刑事事件の鑑定書でこれだけの箇所が訂正されるというのは前代未聞であった。また、訂正書の作成日付は9月20日付、消印は9月22日であった。
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鑑定結果
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「別府3億円保険金殺人事件」の記事における「鑑定結果」の解説
江守教授の鑑定書は、1982年(昭和57年)11月15日付で作成され、11月27日に福岡高裁に提出された。 江守教授は、着水時の衝撃自体ではフロントガラスは割れないとし、乗員の頭部がフロントガラスを割ったとすると15Gの衝撃を受けるため頭部または顔面にかなりの損傷を生じるとした。しかし、荒木にも妻にもそのような負傷はなかったこと、事故車両のダッシュボードに残された擦り傷と車内にあったハンマーの金具の丸い面の形状が一致し、この傷は運転席でハンマーを右手に持ち左後ろから右前に向かって振るとこのような傷ができることなどから、フロントガラスは「着水後、人為的にハンマーで割られたものと思われる」と鑑定した。また、乗車位置については、運転席の乗員は事前に衝撃を予期していれば耐えられるが助手席の乗員が無傷ということはありえない、予期していない場合は離岸から着水までの0.6秒でとっさに身構えるのは不可能であり後部座席の乗員によって背もたれが破壊されるため運転席・助手席とも負傷なしではすまない、助手席は留め金も破壊されることから助手席の乗員が無傷ということはありえないなどとし、助手席のダミー人形の膝についた傷やダッシュボードに生じた凹みなども含めて考えると、無傷の被告人が助手席にいたということはありえず、妻が「当該車両の助手席に乗車していた」と鑑定した。 この鑑定結果に対する江守教授への尋問は、1983年(昭和58年)2月23日の第5回公判と、5月17日から21日まで連続5日間の東京での出張尋問で行われた。ここでも荒木は被告人として江守教授を尋問した。荒木は、江守教授の行った転落実験について「私どもの車両は、7年も使用しており、あなたの実験車とは、フロントガラスの疲労度も風化度も破壊応力も、ぜんぜん異なっている」、「私どもの事故とは乗員もちがうし、車の速度や飛び込む角度も同一であったとはいえない」のであるから、「同一の条件を設定することができないのに、同一の結果など出るわけない」などと主張し、フロントガラスが割れたのは「海面に突入した衝撃で割れたか、海上の浮遊物に当たったかもしれない」と疑問を呈した。これに対して、江守教授は、着水時の衝撃は「陸上で時速15キロメートルで壁に激突した程度」であるからフロントガラスが割れることはない、前輪から着水するので海上の浮遊物は外側にはじかれフロントガラスには当たらないと反論した。なお、割れたガラス片は、着水時の衝撃か海上の浮遊物に当たって割れたとすると車内に多く残る可能性が高く、内側から割った場合は多くは車外に散乱すると思われ、事故車両ではフロントガラスの3分の1程度が車内に残存していた。しかし、江守教授はガラス片の散乱状態や車内の残存量を確認していなかった。江守教授はこの点は不備であったと認めたものの、鑑定結果には影響しないと述べた。荒木は、江守鑑定は鑑定の重要性を認識していない「ずさんな鑑定」であると非難した。 なお、事故車両にはダッシュボードに上からはめ込む形式の灰皿があったが、引き上げられた時点で外れており、車内からは見つからなかった。江守鑑定がハンマーによって形成されたとするダッシュボードの傷の中には、灰皿の外れた穴の先についたものもあった。灰皿が装着されていれば1センチメートル程度盛り上がるため、穴の先に連続して傷がつくことはない。荒木からこのことを指摘された江守教授は、ダッシュボードの傷は複数あることからフロントガラスは一度では割れず何回かハンマーで叩いたとし、灰皿は1回目にハンマーによって叩き抜かれ、灰皿の穴を跨ぐ形の傷はその後の2回目・3回目でついたものと説明した。それであれば灰皿が抜けた時点でフロントガラスはまだあったことになるが灰皿はどこに行ったのかと問いただされると、江守教授は不確定要素が多すぎて物理的には特定できないと答えた。さらに、弁護人から、鑑定書に「したがって、被告人は運転を誤って転落したのではなく、予定のコースを走行して車両を故意に転落させたと考えなければならない」とある点について追及され、江守教授は「故意」かどうかは物理的な鑑定では証明できないと認め、この部分を撤回して謝罪した。なお、この証人尋問後、「事故」当時に車外の海底から発見されていた灰皿が証拠として提出されたが、この灰皿にはハンマーで叩いたような傷はついていなかった。
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