野球関係
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高校・社会人と線が細く球威不足で無名だった。当初、社会人捕手の中出謙二(後に南海に入団)を視察に来た、捕手出身のヤクルトのスカウト・片岡宏雄の目に留まる。当時の監督だった広岡好みの選手と考え指名したところ、広岡に気に入られてすぐに使われ、順調に主力投手に成長していった。 一度も押し出し四球を記録しておらず、2203イニング連続押し出し四球無しはプロ野球記録である。この間、満塁で打者と対戦した回数は163回。また、毎イニング間にベンチ前でウォーミングアップすることなく登板出来るほど、肩の仕上がりが早かった。 『血液型性格判断』を信じている。曰く「O型とB型にはいいピッチャーが多い」。ちなみに、尾花の血液型はB型である。 全国制覇した西田真二・木戸克彦よりも上の世代の為か、PL出身ということはあまり知られておらず、PLの後輩でさえも人に知らされてから慌てて挨拶しに行くことがよくあるという。本人は「隠れPLだからね」と笑う。 現役晩年時、入団間もない古田敦也には「インコースかアウトコース、どっちかに構えとけ」とサインを出させずに自分の配球で投げていた。 ヤクルトコーチ時代、1998年に監督の野村が勇退するのに伴い、自らも投手コーチを辞任。しばらくしてから、ダイエーの一軍投手コーチ就任要請を受けたが、尾花は阪神タイガース監督に就任した野村と行動を共にする考えでいた為、野村に「自分も(阪神に)連れて行って欲しい」と懇願していたが、野村から「自分はどうせすぐにクビになるだろうし、そうなったら(尾花もクビになるだろうから)心もとないから、最初に声をかけてくれたところに行け」と言われた為、ダイエーのコーチを受諾した。しかし、後に野村から「おい、契約はどうなった?」と電話があり、「明日、契約です」と答え、野村に「今すぐ取り下げろ!」と言われた。(「Sports Graphic Number」 751号(創刊30周年特別編集「プロ野球 人間交差点 2010」野村克也 × 尾花高夫 対談より) 解説者時代の関西弁で温厚な語り口や穏やかそうな表情とは対照的に、典型的な武闘派で、球団、首脳陣の顔色を窺うことなく投手陣には容赦なく叱り飛ばす。ダイエーコーチ時代には、バッテリーコーチだった若菜嘉晴と、ベンチ内で取っ組み合いの喧嘩になったこともある。 理論派でもあり、ロッテ一軍投手コーチ時代、投手と一打者につき得意コース、苦手コース、癖、構え、カウント別の対応等最低20分のミーティングを実践していたことで、阪神からFA移籍してきた仲田幸司は野球の奥深さに感銘を受けたという。コーチ時代は、常に相手打者の資料、データを膨大に用意していたという。 ダイエー一軍投手コーチ就任要請は監督である王自身からの電話だった。尾花は「まさか王さんが直接自分のところに電話してくるはずがない」と思い、王の「もしもし、王ですが」という言葉に「王さんですか?失礼ですがそのような知り合いに心当たりないのですが、どちらにお掛けですか」と答えてしまった。しかし王は「福岡ダイエーホークスの監督を務めております王貞治と申します」と丁寧に返答、これにはさすがの尾花も受話器を握りしめたまま直立不動になってしまった。 1999年の西武ライオンズとの開幕戦で、監督の王に対し「監督、この試合は何対何で勝つつもりですか?どの程度の得失点を想定しておられますか?」と尋ねた。王はコーチからこのような質問を受けるのは初めてで怪訝そうな顔つきをしていると、「その想定なくしては私はどのように投手を用意したらいいのですか。例えば2対1と3対2では投手継投が大きく異なります」と続けた。王が「君はどう思う?」と聞くと、「西口文也から二点取れますか?2対1または1対0で勝たないと。いずれにせよ、接戦になるでしょう」と答え、王も頷いた(結果は1対0でライオンズの勝利。西口が完封勝利した)。この試合を機に、試合前に試合展開に応じて投手起用を事前に準備する方式が、ダイエー内で確立したという。この年、ホークスは日本一となった。尾花は他のコーチとの確執が絶えず、王に辞意を伝えたが、彼の手腕を認めた王が「お前の居易いようにするから」との一声で留任を決めたという。また、島田誠の存在も大きく、外様故に軽視されがちだった所を島田に助けてもらった経緯もあり、彼が王の信頼を失いかけた時は自らも島田を助ける等、互いに信頼関係を築いていた(島田の項も参照)。 近年、監督、コーチでもユニフォームのパンツの裾を隠す穿き方が目立つが、原点に立ち返って、裾を膝下まで上げ、白ソックスにストッキングを着用した穿き方をしている。 大洋高木豊の打球を膝に受けて負傷したことがある。
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野球関係
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東克樹 (横浜DeNAベイスターズ投手、2018年度セ・リーグ最優秀新人賞) 青柴憲一(中退、元読売ジャイアンツ投手、立命館大学初のプロ野球選手、1945年戦死) 赤松真人(元広島東洋カープ外野手、2010年度セ・リーグゴールデングラブ賞受賞) 池田潤三(中退、元大東京軍内野手) 江口行男(梧人)(中退、元名古屋金鯱軍、元阪急軍内野手) 大家友和(元横浜ベイスターズ投手、元MLB投手、トロント・ブルージェイズ)プロ入り後の入学) 大久保勝信(元オリックス・バファローズ投手、2001年度パ・リーグ最優秀新人賞) 大友工(元読売ジャイアンツ投手、1953年度沢村栄治賞受賞) 岡嶋博治(中退、元中日ドラゴンズ、元阪急ブレーブス内野手) 小川裕介(元オリックス・バファローズ投手) 葛城育郎(元阪神タイガース外野手) 金森隆浩(元中日ドラゴンズ投手) 金子侑司(埼玉西武ライオンズ外野手、2016年度、2019年度パ・リーグ最多盗塁者賞) 金刃憲人(元東北楽天ゴールデンイーグルス投手) 川崎絢平(明豊高等学校野球部監督) 川村徳久 (元阪急軍内野手) 木全竹雄(元大東京軍外野手) 久保山和夫(元プロ野球審判員) 古賀真之(プロ野球審判員) 後藤正 (元名古屋軍内野手、慶應義塾大学から転校) 榮枝裕貴 (阪神タイガース捕手) 阪本敏三(元阪急ブレーブス内野手) 坂本裕哉(横浜DeNAベイスターズ投手) 桜井俊貴(読売ジャイアンツ投手) 清水貢(天理高等学校硬式野球部元監督) 下山真二(元オリックス・バファローズ外野手、現コーチ) 田頭欣士(三菱自動車水島内野手・現倉敷オーシャンズ監督) 辰己涼介(東北楽天ゴールデンイーグルス外野手) 田中総司(元福岡ダイエーホークス投手) 徳山武陽(元東京ヤクルトスワローズ投手) 徳山文宗(元西武ライオンズ・ロッテオリオンズ・韓国ロッテ・ジャイアンツ外野手) 富松信彦(元大阪タイガース外野手) 中谷翼(中退、元広島東洋カープ内野手) 中谷信夫(元南海ホークス投手) 中村真崇(元広島東洋カープ内野手) 永山勝(元南海ホークス投手、元福岡ソフトバンクホークススカウト部長、現プロスカウトチーフ) 西尾慈高(元阪神タイガース投手) 西村進一(中退、元名古屋軍内野手、平安高校監督) 長谷川滋利(オリックス・バファローズシニアアドバイザー、元MLBシアトル・マリナーズ、オリックス・ブルーウェーブ投手) 林清一(中退、元読売ジャイアンツ外野手) 林忠良(パ・リーグ審判員、パシフィック・リーグ審判部前副部長、関西副部長) 原田清(元東急フライヤーズ内野手) 原貢(東海大学野球部元監督、福岡県立三池工業高等学校、東海大学付属相模高等学校野球部監督として甲子園優勝。原辰徳の父親) 肥田高志(元オリックス・バファローズ外野手) 平岩嗣朗(元国鉄スワローズ捕手) 平田英之(元広島東洋カープおよびロッテ・オリオンズ投手) 平本学(元東京ヤクルトスワローズ投手) 藤原通(元阪神タイガース内野手) 藤原正典(元阪神タイガース投手) 古田敦也(元東京ヤクルトスワローズ監督兼捕手、元労働組合日本プロ野球選手会会長、2015年野球殿堂) 松村豊司(元オリックス・バファローズ投手、現兵庫スイングスマイリーズ監督) 水田章雄(元福岡ソフトバンクホークス投手) 村川幸信(元大東京軍捕手) 籾山幸徳(元読売ジャイアンツ内野手) 山足達也(オリックス・バファローズ内野手) 山口忠良(元横浜大洋ホエールズ投手) 保井浩一(元東映フライヤーズ内野手・監督) 山田秋親(元千葉ロッテマリーンズ投手、元福岡ソフトバンクホークス投手) 山本重政(中退、元近鉄バファローズ・阪神タイガース投手) 吉田義男(中退、元阪神タイガース遊撃手・監督、1992年野球殿堂) 吉見太一(元西武ライオンズ捕手) 米川泰夫(中退、元東映フライヤーズ投手) 渡辺博文(元サンケイスワローズ投手)
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野球関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 07:31 UTC 版)
野球好きであり、母校である福知山成美高校の理事長を務めていた2009年に自ら近畿地方初 となる女子硬式野球部を創設、監督には元女子硬式野球全日本チーム代表の長野恵利子 を監督に迎えた。 2010年4月には日本女子プロ野球機構を創設したが、運営に苦戦。2019年1月31日に行われた記者会見で、「今年集客数が倍にならなければ運営からの撤退(事実上の解散)も考える」などと発言。リーグの存続を危ぶむ声があがり、同年のシーズン終了後以後は選手の大量脱退が相次ぐ。2020年2月3日、『女子プロ野球クライシスー創設者10年の告白』を出版。5月25日、理事を退任。リーグは2021年7月21日、所属選手が0人となり、事実上の消滅状態となった。同年12月30日に「無期限の活動休止」を発表した。 また、『紫々丸』のペンネームで、「女の子だって甲子園!!」をテーマにしたWEBコミック『花鈴のマウンド』の原作を執筆している。
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