王貞治
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王 貞治(おう さだはる、中国語拼音:Wáng Zhēnzhì〈ワン・チェンジー〉、1940年5月20日 - )は、東京府東京市本所区(現・墨田区)生まれ、中華民国籍の元プロ野球選手・監督。福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長。日本プロ野球名球会顧問。
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- ^ a b [1]
- ^ 現在のメジャーリーグの記録はバリー・ボンズの762本
- ^ 第3回WBC 日本代表コーチ陣
- ^ “プロ野球の王貞治氏、台湾総統から勲章授与される”. AFP BBNews. (2009年2月6日) 2010年4月5日閲覧。
- ^ “台湾週報:一覧:トップページへ > 台灣週報 > 台湾週報 > 馬英九総統が王貞治氏に「二等景星勲章」を授与” (2009年2月6日). 2010年4月5日閲覧。
- ^ “名誉都民の王貞治氏ら顕彰 理恵さんが手紙代読「精いっぱい生きていく」”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2009年9月24日) 2010年4月5日閲覧。
- ^ “王さん「この上ない名誉」墨田区名誉区民”. 2018年7月18日(水)閲覧。
- ^ “名誉区民 王 貞治氏 目黒区” (2011年2月15日). 2014年10月14日閲覧。
- ^ “福岡市ホームページ:HOME > 市政情報 > 市政の概要・市のプロフィール > 王 貞治 氏 (平成16年12月17日選定)” (2008年2月7日). 2010年4月5日閲覧。
- ^ “王さん 宮崎名誉市民に、長嶋さんに次いで2人目”. YOMIURI ONLINE. (2009年8月9日) 2010年4月5日閲覧。
- ^ “王会長の母、108歳大往生「息子として誇り」― スポニチ Sponichi Annex 野球”. 2018年9月21日閲覧。
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』20P参照
- ^ 王貞治、『野球にときめいて 王貞治 半生を語る』2011年、11頁。
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』14P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』17P参照
- ^ 朝日デジタルのニュース記事「OB王貞治さん祝福 墨田の業平小100周年式典」辻健治 2017年11月24日03時00分
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』25-26P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』26P参照
- ^ 自著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』では「坊や、何で右で打っているの?」と書いている。
- ^ 自著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』では「じゃあ、次は左で打ってみたらどうだい。」と言っている。
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』27P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』27-28P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』29P参照
- ^ a b c d e f 「高校野球 熱闘の世紀」ザ・ベスト
- ^ WiLL2013年2月号P285
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』30P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』32-34P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』37-39P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』46P参照
- ^ 王貞治が阪神に入っていたら プロ野球「もしも、もしも・・・の物語」
- ^ a b c d e f g h 『昭和55年 写真生活』p28-29(2017年、ダイアプレス)
- ^ 巨人軍最強伝説〜長嶋茂雄vs王貞治〜1983年1月放送本人談
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』 61-62P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』 61-62P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』63-64P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』 64P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』64P参照
- ^ 開幕戦先発出場のセ・リーグ高卒新人は王以外に1957年に日大三高から阪神入りした並木輝男外野手、小学4年で王に憧れ野球を始め1988年にPL学園から中日入りした立浪和義遊撃手の2人。
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』65-67P参照
- ^ ただし、シーズンで最多三振を記録したことは一度もない。
- ^ 王の自著「野球にときめいて 王貞治、半生を語る」中央公論新社、ISBN:9784120042171 2011年03月
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』 71P参照
- ^ 当時の巨人でのシーズン最多本塁打は青田昇の32本であり、簡単に30本以上が出るとは思っていなかった。
- ^ 王の自著「野球にときめいて 王貞治、半生を語る」中央公論新社、ISBN:9784120042171 2011年03月
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』 73P参照
- ^ 王貞治はなぜ二本足ではダメ? 恩師が明かす「王の悪い癖」
- ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』16P参照
- ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』6P参照
- ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』54P参照
- ^ この日は日曜日で、当時日曜日はダブルヘッダーとすることが多く、第1試合は薄暮ゲームで午後4時半から開始することが多かった。
- ^ 上前淳一郎『巨人軍影のベストナイン』角川文庫。なお、近藤唯之も同様の内容を記している。
- ^ 荒川博 その2【全4回】 欠点を克服するための努力が生んだ一本足打法 (1)
- ^ この時の当事者だった別所と荒川は、その後1977年から1984年まで、フジテレビと文化放送の野球解説者として『プロ野球ニュース』などで一緒に仕事をすることになる。
- ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』54P参照
- ^ 『スポーツ20世紀』ベースボール・マガジン社、2000年7月、p25
- ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』55P参照
- ^ 堂本昭彦 『羽賀準一 剣道遺稿集―附伝記・日記』、島津書房、1999年
- ^ '77 THE BASEBALL MOOK プロ野球党(日本スポーツ社)
- ^ 1981年から1987年までは後楽園球場、1998年から現在は東京ドームの1番ゲートは「王ゲート」と称されており、そのモニュメントで再現されている。また2002年には王の現役時代のバッティングを再現した「王貞治スーパーリアルフィギュア」(868体限定)が販売され、一本足打法が再現されている
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』90P参照
- ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』108-109P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』91P参照
- ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』114-115P参照
- ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』91P参照
- ^ WiLL2013年2月号王貞治新春対談
- ^ それまで、巨人では背番号50台は高卒ルーキーのための背番号と位置付けられており、入団して一軍で活躍すれば若い背番号に替わることとなっていた(例:槙原(54→17),吉村(55→7),駒田(50→10),村田真(56→9)等)。しかし松井は巨人の10年間そしてMLBの9年間、背番号55を付け続けた。
- ^ WiLL2013年2月号王貞治新春対談
- ^ 初めて三冠王となった1973年オフの更改では、年俸額は変わらず報奨金(ボーナス)を別途出すことで決着した。それまで長嶋の年俸額を超えて王の年俸を上げることを球団側が認めなかったのである。しかし実質的にボーナス分を含めると王は長嶋を抜き、長嶋の現役最後のシーズンとなった翌1974年は王が名実ともに巨人のトッププレーヤーであることは万人が認めていた。そして長嶋が引退し王が2年連続三冠王となった1974年のオフの更改では、前年の三冠王ボーナスがそっくり年俸に加算された。
- ^ 『日録20世紀 1977年』講談社、1997年刊
- ^ 日テレG+「ジャイアンツタイムマシーン・4番打者」より
- ^ ベースボール・マガジン社「東京ヤクルトスワローズ40年史 1969-2009 ツバメの記憶」43ページ
- ^ 王が引退した1980年において、メジャーリーグ26球団の本拠地球場の多くは両翼が100mを超えており、両翼が100m以下の球場も左右中間は115m以上あるなど充分な外野の広さを持っていた。これに対し、後楽園球場は両翼が実測87.8m(約288.1ft)、左右中間110.1m(約361.1ft)と狭く、他のセ・リーグの球場もほぼ同様の広さであった。
- ^ “[http://www2.plala.or.jp/ippeifuji/p-k1-19.htm �L�^�P�X]”. www2.plala.or.jp. 2019年3月31日閲覧。
- ^ 21世紀への伝説史 王貞治 『気力編』&愛蔵本 発売:(株)メディアファクトリー・販売:(株)トップアスリート
- ^ 近藤唯之『引退 そのドラマ』新潮文庫
- ^ 当初は助監督の3年間で退任して巨人を去るつもりであったが、球団の要請により、監督に登用されて引き受けることとなった。
- ^ 戦後から2015年まで(水原茂監督から第二次原辰徳監督まで)でBクラス経験が一度もない巨人軍監督は、水原茂と王貞治の2人だけである。
- ^ 安枝新俉、人間・王貞治―89野球魂(学研新書)、学習研究社、2009年、P21
- ^ [2]
- ^ 【根本陸夫伝】 王貞治を「ラーメン屋のせがれ」と言い放った男
- ^ TBS「ZONE」1999年10月28日放送
- ^ 王貞治監督を無任所大使に任命
- ^ 日刊スポーツ
- ^ 再来日の覚悟が見えたオーティズの箸使い。
- ^ 野球普及に強い意欲=文化功労者の王貞治さん 時事通信 2010年10月26日閲覧
- ^ “東京スカイツリータウンがオープン、初日は22万人”. 2018年7月18日(水)閲覧。
- ^ 王会長が台湾殿堂入り
- ^ 王会長 台湾殿堂入り
- ^ 【巨人】台湾とのOB選抜チャリティー試合に15―11で勝利
- ^ 台日傳奇球星交手 王貞治金雞獨立打擊再現!-民視新聞
- ^ 感動的一刻 #野球部品專門店 #Glants #王貞治
- ^ “ソフトバンク王会長が結婚「これからも2人で充実した日々を」”. SANSPO.COM. (2018年6月1日) 2018年6月1日閲覧。
- ^ 王の自著「野球にときめいて 王貞治、半生を語る」中央公論新社、ISBN:9784120042171 2011年03月
- ^ 長嶋自身、周囲への助言を求めている自分と、そうでもない王の対比を意識しており、その違いは「ワンちゃんは荒川さん直々の打法があったが、自分はそもそも師匠がおらず、直伝された技術がなかった。だから自分から周囲に教えを乞うしかなかった。」と述べている(「巨人V9 50年目の真実」より)
- ^ 近藤唯之「こうすれば人は動く〜プロ野球名監督の用兵術」東急エージェンシー ISBN:9784924664111 1985年12月
- ^ 『プロ野球 奇人変人列伝』名球会では異色の人格者 〇王貞治の項より ISBN 978-4908170003
- ^ 川上哲治氏お別れの会 王氏、教わった「野球人の心構え」
- ^ WiLL2013年2月号 王貞治新春対談
- ^ その際、自分のもとに王から直接電話が来るはずないと思っていた尾花から「王さんですか?失礼ですがそのような方に心当たりないのですが、どちらにお掛けですか」と訊き返し、それに対して王が「福岡ダイエーホークスの監督を務める王貞治と申します」と丁寧に返答したため、尾花が一転して直立不動になってしまったという逸話がある(詳細は尾花の項を参照)。
- ^ 12位:ホームラン地蔵 出没!アド街ック天国 テレビ東京 2006年11月25日放送
- ^ 王貞治氏が中田翔にアドバイス「4番は三振しても知らん顔を」
- ^ “沿道を沸かせた往年の名選手たち/箱根駅伝写真館”. 日刊スポーツ. (2017年12月29日) 2018年6月12日閲覧. "ページ前半、『1975年 王貞治』欄参照"
- ^ 広重竜太郎(取材・構成) (2010年12月24日). “山登りの英雄「本当は2区走りたかった」”. 日刊スポーツ 2018年6月12日閲覧。
- ^ “アーカイブ(写真)~箱根駅伝”. 報知新聞(スポーツ報知). (1987年1月2日) 2018年6月12日閲覧。
- ^ 王の自著「野球にときめいて 王貞治、半生を語る」中央公論新社、ISBN:9784120042171 2011年03月
- ^ 王の自著「野球にときめいて 王貞治、半生を語る」中央公論新社、ISBN:9784120042171 2011年03月
- ^ “ダイエー、王夫人遺骨で300万円要求される”. 日刊スポーツ(西部日刊スポーツ). (2003年12月23日) 2018年6月12日閲覧。 ※ 現在はインターネットアーカイブ内に残存
- ^ 篁五郎 (2016年8月2日). “王貞治夫人の遺骨盗難事件 遺骨は今どこへ?”. エキサイトニュース(90s チョベリー) 2018年6月12日閲覧。
- ^ “【ソフトバンク】78歳・王会長が再婚 同居10年目、男の「けじめ」”. 報知新聞(スポーツ報知). (2018年6月2日) 2018年6月12日閲覧。
- ^ “ソフトB王会長78歳で再婚 一般女性と先月末入籍「10年来、生活を共に」”. 西日本スポーツ. (2018年6月1日) 2018年6月12日閲覧。
- ^ “王貞治氏の再婚、当初は反対あったが成立に至るまで”. NEWSポストセブン. (2018年6月7日) 2018年6月12日閲覧。
- ^ “王貞治さんの母・登美さん死去…108歳” (日本語). 読売新聞. (2010年8月17日) 2010年8月17日閲覧。
- ^ 編集委員 清水満 (2008年12月26日). “【王家の教え】(上)王貞治さんの信念「私は疑うことなく日本人」(1/3ページ)”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社) 2010年2月21日閲覧。
- ^ 編集委員 清水満 (2008年12月26日). “【王家の教え】(上)王貞治さんの信念「私は疑うことなく日本人」(2/3ページ)”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社) 2010年2月21日閲覧。
- ^ 編集委員 清水満 (2008年12月26日). “【王家の教え】(上)王貞治さんの信念「私は疑うことなく日本人」(3/3ページ)”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社) 2010年2月21日閲覧。
- ^ 「"最強の阪神"を粉砕した陰の男 吉田増蔵の伝説をたずねて」文藝春秋 Number129 86頁参照
- ^ 王さん悼む「技極めた人」 日刊スポーツ 2013年1月20日閲覧
- ^ 大相撲酒豪番付2014年東銀座場所 時事ドットコム
- ^ 大鵬さん通夜で別れの言葉 王さん悲痛「天は無情です」 スポーツニッポン 2013年1月31日閲覧
- ^ 青木功 - 世界の王さんあっての私 - 東洋経済 2009年8月4日
- ^ “170420 王貞治 世界青少年野球推進財団幹事長と懇談”. 林幹雄事務所. (2017年4月20日) 2018年1月10日閲覧。
- ^ ただし、NPB公式の出塁率のシーズン記録は1986年落合博満(ロッテ)の.487である(両リーグで最高出塁率を表彰開始した1985年以降が対象であるため)。
<参照>http://bis.npb.or.jp/history/ssb_obp.html - ^ a b “2008年 日本プロスポーツ大賞発表!!”. 日本プロスポーツ大賞. 公益財団法人日本プロスポーツ協会. 2017年11月25日閲覧。
- ^ 顕彰状 早稲田大学オフィシャルサイト(2011年4月1日)
- ^ 王監督に台湾の勲章/「受賞は面はゆい」
- ^ “大関魁皇関に対する県民栄誉賞贈呈について (PDF)”. 福岡県新社会推進部県民文化スポーツ課. 2017年9月8日閲覧。
- ^ “福岡市スポーツ栄誉賞”. 福岡市 健康づくり・スポーツサイト. 福岡市. 2017年9月8日閲覧。
- ^ “福岡ソフトバンクホークス王貞治前監督に県民栄誉賞を贈呈!~「県民の誇り」偉大な功績を称えます~”. 全国知事会. 2017年9月8日閲覧。
- ^ “名誉都民顕彰者一覧”. 文化振興. 東京都生活文化局. 2017年12月4日閲覧。
- ^ 2011年度9月卒業式 王貞治氏にスポーツ功労者表彰 早稲田大学オフィシャルサイト(2011年9月17日)
- ^ 王貞治氏が第2回台湾野球殿堂入り選手に選出[リンク切れ]
- ^ 早稲田大学系属 早稲田実業学校 王貞治記念グラウンド 新設[リンク切れ]
- ^ “[http://www2.plala.or.jp/ippeifuji/p-k1-19.htm �L�^�P�X]”. www2.plala.or.jp. 2019年3月31日閲覧。
- ^ プロ野球 名選手列伝 驚きの記録を残したツワモノたち。著者・吉野秀。2008年6月15日。33頁・34頁。
- ^ http://www.news-postseven.com/archives/20150818_341717.html
- ^ 新春大吉 テレビドラマデータベース
- ^ 「玉木正之ネットワーク」内コラム 「「日本サッカー青春時代」最後の闘い」。解説は釜本邦茂が務めた。
- ^ 出典:「朝日新聞」1993年5月16日朝刊19面。
- ^ 王貞治氏が「ナボナ名誉大使」に 亀屋万年堂・自由が丘総本店リニューアル
- ^ 阪田寛夫の周辺について(2)~「ABC子どもの歌」と「白いボール」の時代 日が暮れてから道は始まる(2011年2月22日)
- ^ 『福島民報』1971年6月21日付朝刊、8面。
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