石田三成讒言説とは? わかりやすく解説

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石田三成讒言説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:23 UTC 版)

豊臣秀次」の記事における「石田三成讒言説」の解説

太閤さま軍記のうち』では、「御謀反談合」の風聞秀吉の耳に届き7月3日に4奉行派遣されて「子細せんさく」があった後、8日伏見木下吉隆邸に預かりとなった秀次がすぐに高野山に入るという展開になるが、それでは余りに話を省略し過ぎているので、『太閤記』以後書物ではこの間のくだりが大幅に加筆”された。 元和年間成立したとされる川角太閤記』は、秀吉側室であった病を得たため暇を出され親元帰されていた菊亭晴季の娘である一の台を、秀次が見初めて、晴季に請う秀吉には黙って継室としたが、石田三成讒言でそれを知った秀吉嫉妬狂って罪状でっち上げ処断たとする話を載せている。 『甫庵太閤記』では、7月5日石田三成が、1年前に毛利輝元と秀次が交わした誓紙を今になって咎めて、(秀次に謀反心は)「聊以(いささかもって)なかりし」ものの、反逆者行為似ている別の嫌疑取り上げて言い掛かりをつけてくる。同記は「秀次公讒言にあひ給ひし」は天罰であったという論調であるが、讒言者を石田三成増田長盛の2名としている。木村重茲木村常陸介)の役回り変わって、彼は秀吉重臣木村定重嫡男として本来なら豊臣家執政となるべき立場であった三成にその地位奪われた者であり、両者の対立関係を描くことで、三成陰謀関与する動機与えている。三成は、関白宿老として将来のある常陸介を陥れようとしていて、木村家内偵入れて見張り讒言口実伺っており、三成による讒言という構造はっきりしている。 以後陰謀主体者石田三成当て嵌めた“讒言説(讒構説)”の筋書き追随する書物続出し寛永年間の作で『太閤記』と同じ頃に書かれた『聚楽物語』では、それぞれの役割分担はさらに明確にされる。木村重茲はもはや忠臣として扱われ物語の中心は、石田三成と秀次の宿老衆とのせめぎ合いであり、田中吉政三成謀略によって讒言協力するように迫られて、吉政が日々子細報告繰り返すうちに情報集めて三成は「御謀反うたがいなく候」と秀吉報告するに至る。三成はさらに孝蔵主使者として秀次をおびき出そうとする。重茲は追い詰められからにはいっそ謀反を起そうと提案するが、粟野秀用反対して、秀次は弁解伏見に向かうが、すべてが筒抜けの状態であったからまんまと捕らわれてしまうという展開である。 これが『武功夜話』(成立年代不明だ江戸中期以後)になると、田中吉政役回り前野長康替わっている。ここでは前野家主人公だが、これまで不明だった謀反とされた内容がさらに具体的に加筆された。それによるとそもそもの発端毛利秀元秀吉直接訴え出たことであり、秀元が聚楽第に来た際に連判状示されて秀次へ忠節を誓うように催促されたのを、謀反疑いとして注進したが、連判状には前野景定出雲守)の名前もあったのだと言う。そこで6月末、前野長康木村重茲伏見召還され石田三成増田長盛長束正家審問を受け、両名それぞれ次の所業弁護するが、連判状存在突き付けられ観念して聚楽第急行して秀次に恭順の意を諭すことになる。連判状がなぜ謀反と繋がるのか疑問に思うわけであるが、これについては弁明する次に「この書物別儀無く、余への忠義の心を相確かめるため、家来ども始め諸上に書物連署墨付け願いたる事、太閤殿下聊かも他意これなし、如何様殿下讒言候哉」と言わせて、奉行衆秀吉と秀次の間引き裂いたことだとして描かれている。 ここまで詳しく書いたが、これらの資料ごとの相違からも考察できるように、石田三成讒言説については「秀次の粛清何者かの陰謀結果であろう、そしてそれはきっと石田三成違いない」という、後世の人の憶測考えられる主体的に三成動いたということがわかるような史料存在せず三成による讒言があったことを示す史料もない。また、上記の例に挙げた後世書かれた「軍記物」はもとよりフィクション多く含んでいると考えられている。事件後に、使者となって関わった奉行衆それぞれ加増されているという史実はあるものの、秀次旧家臣らの中にも加増受けているものも存在することなどから、「三成奉行衆秀吉の命を遂行したに過ぎない」というのが現在は有力な説で、今井林太郎小和田哲男などは讒言説を否定し石田三成は「秀次追い落とし首謀者ではなかった」としている。なお、秀吉から秀次を補佐する侍大将として付けられ若江八人衆のうち、大場土佐大山伯耆高野越中舞兵庫牧野成里森九兵衛三成家臣となり、関ヶ原の戦い活躍した

※この「石田三成讒言説」の解説は、「豊臣秀次」の解説の一部です。
「石田三成讒言説」を含む「豊臣秀次」の記事については、「豊臣秀次」の概要を参照ください。

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