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ぐんき‐もの【軍記物】

読み方:ぐんきもの

江戸時代出た小説一種戦争合戦題材に、事実空想まじえて書いたもの。絵本太閤記など。

軍記物語


軍記物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 16:38 UTC 版)

軍記物(ぐんきもの)とは、中世末期(室町時代)から近世初期にかけて、戦国武将や近世大名の武勲や武功について物語形式で記述した書物である。


  1. ^ 髙橋恵美子『中世結城氏の家伝と軍記』(勉誠出版、2010年)「序論」
  2. ^ 戦国軍記事典(和泉書院)はしがき(1997年1月)を要約


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軍記物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 05:28 UTC 版)

鹿島新當流」の記事における「軍記物」の解説

甲陽軍鑑』の11品によると、山本勘助今川家への仕官京流兵法者として推薦されたが、今川義元は他の理由加えて新當流兵法こそ本なれ」という理由却下した。 『甲陽軍鑑』の40品下によると、兵法を習う者は、兵法つかい、兵法者兵法仁の3つ分けられ山本勘助、波合備前塚原卜伝の3人は兵法仁に相当する砥石崩れ今井伊勢守敵兵出会った時、敵の長槍見て相性の不利を悟った今井顔見知り振りをして呼びかけた。すると、敵も構えていた下ろして挨拶返してきたので時間稼ぎ追いついてきた味方と共に敵兵殺したこのように兵法仁は太刀兵法使わない例があり、これが塚原卜伝の一ツ太刀である。卜伝は、一ツの太刀、一ツの位、一太刀3段極意とした。 『甲陽軍鑑』の末書結要本5巻によると、塚原卜伝太刀極意を一ツ乃太刀名付た。これは松本備前守(諱不詳)が使いはじめたものであった名声得た後、卜伝は一ツ乃太刀日本中に広め公方万松院殿(足利義晴)、光源院殿(足利義輝)、霊陽院殿(足利義昭)に一ツ乃太刀伝えた。ただし、40品と末書結要本に新当流の名は出てこない。 『勢州軍記』によると、飯篠家直天真の伝として剣術流派興しそのうち四伝を受け継いだ塚原卜伝がさらに新たな流派興したその後塚原卜伝学んだ北畠具教一之太刀極めた一之太刀受け継ぐことができるのは1人だけと定めていた卜伝は、嫡男塚原秀幹にあてて具教に教えを請うように遺言したところ、秀幹は既に一之太刀習得した偽って比較のために見せてほしいと具教に頼んだ騙された具教は秀幹に一之太刀見せてしまった。なお、『勢州軍記』にも新当流という単語出てこない。 『昔阿波物語』によると、阿波国三好家では、三好実休十河一存初め家中の者が新當流内藤太郎兵衛教え受けていた。一方篠原長房上方兵法名人式部を師としていた。式部は実休に「新當流役に立たないと言ったので、弟子同士の実休と長房が木刀試合をすることになり、この試合では長房が勝ったその後一存家来式部暗殺したので、恨み思った長房が兵を率いて一存の館を取り囲む騒ぎとなったが、実休が取りなした。 『関八州古戦録』によると、武田家により長野家の箕輪城陥落した際、武田家仕えていた内藤昌豊長野家の旧臣250名を召抱えて箕輪城城代となり、西上野の目代となった長野家に仕えていた上泉信綱は、落城の際は切り抜けて東上野落ち延びていたが、後にかつての同僚たち頼って西上野へ戻り、昌豊に仕えた。信綱は香取飯篠家直興した流派天眞正ノ流を修めていたが、これに工夫加えて新當流興したこの後、信綱は「武田信玄許可なく他家仕官しない」という誓約のもと自由行動ゆるされ呼び名伊勢守から武蔵守改め上方行き、また柳生柳生宗厳剣術教えて同地没したまた、同書によると、天眞正は海に住む河童香取大明神(フツヌシ)の化身である。この天眞正を師とする鹿伏兎刑部少輔飯篠家直刺撃ノ法を伝授し、その流派が家直から松本備前守経由して塚原卜伝伝わった『本朝武芸小伝』の「塚原卜傳」によると、常陸国塚原卜伝の父は天眞正傳修めていた。はじめ、父の教え受けたのは卜伝の兄だったが、兄は早世したため卜伝が兄の流派受け継いだ一方上野国の上泉信綱は陰流の祖で刀槍術の達人だったので、卜伝は上野国行き信綱の下で研鑽積んだ。後に卜伝は京へ上り将軍足利義輝足利義昭刀槍術を教え一太刀北畠具教授けた。この時、松岡則方本旨悟ったので、後に一之太刀徳川家康伝授した。この流派は則方の弟子、甲頭刑部少輔多田右馬助などに受け継がれた。この本の塚原卜傳」の項目にも新当流の名はないが、「飯篠山城守家直」の項目では飯篠家直興した流派天眞正傳神道流としている。

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軍記物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/21 16:35 UTC 版)

新当流」の記事における「軍記物」の解説

甲陽軍鑑』の11品によると、山本勘助今川家への仕官京流兵法者として推薦されたが、今川義元は他の理由加えて新當流兵法こそ本なれ」という理由却下した。 『甲陽軍鑑』の40品下によると、兵法を習う者は、兵法つかい、兵法者兵法仁の3つ分けられ山本勘助、波合備前塚原卜伝の3人は兵法仁に相当する砥石崩れ今井伊勢守敵兵出会った時、敵の長槍見て相性の不利を悟った今井顔見知り振りをして呼びかけた。すると、敵も構えていた下ろして挨拶返してきたので時間稼ぎ追いついてきた味方と共に敵兵殺したこのように兵法仁は太刀兵法使わない例があり、これが塚原卜伝の一ツ太刀である。卜伝は、一ツの太刀、一ツの位、一太刀3段極意とした。 『甲陽軍鑑』の末書結要本5巻によると、塚原卜伝太刀極意を一ツ乃太刀名付た。これは松本備前守(諱不詳)が使いはじめたものであった名声得た後、卜伝は一ツ乃太刀日本中に広め公方万松院殿(足利義晴)、光源院殿(足利義輝)、霊陽院殿(足利義昭)に一ツ乃太刀伝えた。ただし、40品と末書結要本に新当流の名は出てこない。 『勢州軍記』によると、飯篠家直天真の伝として剣術流派興しそのうち四伝を受け継いだ塚原卜伝がさらに新たな流派興したその後塚原卜伝学んだ北畠具教一之太刀極めた一之太刀受け継ぐことができるのは1人だけと定めていた卜伝は、嫡男塚原秀幹にあてて具教に教えを請うように遺言したところ、秀幹は既に一之太刀習得した偽って比較のために見せて欲しいと具教に頼んだ騙された具教は秀幹に一之太刀見せてしまった。なお、『勢州軍記』にも新当流という単語出てこない。 『昔阿波物語』によると、阿波国三好家では、三好実休十河一存初め家中の者が新當流内藤太郎兵衛教え受けていた。一方篠原長房上方兵法名人式部を師としていた。式部は実休に「新當流役に立たないと言ったので、弟子同士の実休と長房が木刀試合をすることになり、この試合では長房が勝ったその後一存家来式部暗殺したので、恨み思った長房が兵を率いて一存の館を取り囲む騒ぎとなったが、実休が取りなした。 『関八州古戦録』によると、武田家により長野家の箕輪城陥落した際、武田家仕えていた内藤昌豊長野家の旧臣250名を召抱えて箕輪城城代となり、西上野の目代となった長野家に仕えていた上泉信綱は、落城の際は切り抜けて東上野落ち延びていたが、後にかつての同僚たち頼って西上野へ戻り、昌豊に仕えた。信綱は香取飯篠家直興した流派天眞正ノ流を修めていたが、これに工夫加えて新當流興したこの後、信綱は「武田信玄許可なく他家仕官しない」という誓約のもと自由行動ゆるされ呼び名伊勢守から武蔵守改め上方にへ行き、また柳生柳生宗厳剣術教えて同地没したまた、同書によると、天眞正は海に住む河童香取大明神(フツヌシ)の化身である。この天眞正を師とする鹿伏兎刑部少輔飯篠家直刺撃ノ法を伝授し、その流派が家直から松本備前守経由して塚原卜伝伝わった『本朝武芸小伝』の「塚原卜傳」によると、常陸国塚原卜伝の父は天眞正傳修めていた。はじめ、父の教え受けたのは卜伝の兄だったが、兄は早世したため卜伝が兄の流派受け継いだ一方上野国の上泉信綱は陰流の祖で刀槍術の達人だったので、卜伝は上野国行き信綱の下で研鑽積んだ。後に卜伝は京へ上り将軍足利義輝足利義昭刀槍術を教え一太刀北畠具教授けた。この時、松岡則方本旨悟ったので、後に一之太刀徳川家康伝授した。この流派は則方の弟子、甲頭刑部少輔多田右馬助などに受け継がれた。この本の塚原卜傳」の項目にも新当流の名はないが、「飯篠山城守家直」の項目では飯篠家直興した流派天眞正傳神道流としている。

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軍記物

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鉄砲伝来」の記事における「軍記物」の解説

北条五代記』に、関八州鉄炮はじまる事、という記述がある。ここでは、1510年永正7年)に唐(中国)から渡来したという。 見しは昔、相州小田原玉瀧坊と云て年よりたる山伏有。愚老若き頃、其山臥物 語せられしは、我関東より毎年大峯へのぼる。享禄はじまる年、和泉の堺へ下りしに、あらけなく鳴物の声する、是は何事ぞやととへば、鉄炮と云物、唐国より永正七年に初て渡りたると云て、目当とてうつ。我是を見、扨も思議奇特 成物かなとおもひ、此鉄炮を一挺買て、関東持て下り屋形氏綱公へ進上す。(中略)氏康時代、堺より国康といふ鉄炮張り名人をよび下し給ひぬ。扨又根来法師に、房・二王坊・岸和田などといふ者下りて関東をかけまはつて鉄炮ををしへしが、今見れば人毎持し、と申されし 大久保忠教『三河物語』では、松平清康が、熊谷実長が城へ押し寄せた際に、四方鉄砲打ち込む記載されている。1530年享禄3年)のこととされる。また、今川殿の名代として、北条早雲松平方の西三河岩津城を攻撃した際に、四方鉄砲放つとある、出版社欄外解説には、この役は、1506年永正3年)のことで、鉄砲はこのときないとして、『鉄炮記』の記述支持している。

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軍記物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:59 UTC 版)

承久の乱」の記事における「軍記物」の解説

承久記』:全2巻承久の乱記した軍記物。乱の原因後鳥羽上皇不徳であると記している。異本が多い。これを基に江戸時代描かれた『承久記絵巻』が個人現存している。

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軍記物

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院政期文化」の記事における「軍記物」の解説

院政期文化主たる担い手依然貴族層や僧侶であったが、新興勢力である武士庶民の生活にも目が向けられるようになり、そこに文化的関心寄せられたのもこの時代特徴であった承平天慶の乱における平将門東国での反乱描いた将門記』、陸奥における前九年の役経過記した陸奥話記』はともに地方合戦取材したもので、地方武士の様相がよく描かれている。軍記物のさきがけをなすものとして文学史上の意義大きくいずれも日本風漢文書かれている

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軍記物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)

鎌倉文化」の記事における「軍記物」の解説

この時代文学特色を示すものに軍記物がある。いずれも漢語仏語俗語とくに武士ことばをまじえた力強く簡潔な和漢混淆文つづられた。従来漢文体合戦記では表現できない躍動性が発揮され実際武士の活躍ぶりが描かれている。 本格的な軍記物のさきがけをなすものとして、保元の乱題材とする『保元物語』平治の乱描いた平治物語』が知られる。ともに成立年代不明だが、『平家物語』に先だって成立した考えられ前者鎮西八郎源為朝を、後者悪源太源義平主人公とし、両乱を題材しながら主人公悲壮な武運描いている。 軍記物のなかでもとくに傑作とされるのが、治承・寿永の乱中心に平氏興亡テーマとした『平家物語』である。『徒然草』では、作者遁世して慈円のもとにいた信濃前司行長としており、それを東国出身盲目の僧生仏に語らせたのが始まりであると伝えているが、その内容からは複数作者介在想定され異本も多い。優れた文学というだけでなく、盲目琵琶法師によって平曲平家琵琶)として語り広められて、文字読めない人びとにも親しまれた。琵琶法師は、平安時代のころから琵琶かきならしながら叙事詩語って活躍していたが、楽器伴奏あわせて物語に節をつけて語る「語りもの」は、新仏教の形成とともにこの時代特色づける新しい傾向である。 『平家物語』は、全編を「盛者必衰」の無常観によりながら平清盛木曽義仲個性的な武士像や運命翻弄される女たち悲哀などを和漢混淆文によって描いており、合戦場面のきびきびとした簡潔な文体女性哀話における叙情的な和文体など多様な文体駆使されている。一族運命をみずからの運命として受容し、いさぎよく最後まで戦い抜いた武士たちを生き生き描ききったところにこの物語魅力があり、また、祇園精舎の鐘の声…」ではじまる韻律的な書き出しは特に有名である。 後続する『源平盛衰記』『平家物語』読み本系写本中の一異本考えられ異説異伝載せるなど一種史書としての体裁とっている。他に戦乱取材したものとしては1221年承久3年)に後鳥羽上皇討幕の兵をあげた承久の乱描いた承久記』がある。なお、そのころに著述されたと思われる『平家物語』十二六代被斬」では、「承久に御謀反おこさせ給ひて」という一節がある。

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軍記物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 03:21 UTC 版)

埼玉県を舞台とした作品一覧」の記事における「軍記物」の解説

鎌倉大草紙作者不詳)- 享徳の乱時期関東描かれている。 関八州古戦録槙島昭武)- 河越夜戦から小田原征伐までの関東描かれている。 太平記作者不詳)- 巻第十新田義貞挙兵の事」、巻第三十一武蔵野合戦の事」では所沢市その周辺での合戦模様描かれている。 成田記(小沼十五郎保道)- 成田氏盛衰描かれている。 坂東忠義伝 / 関東古戦録三木成為)- 戦国期舞台足利義連(架空の人物)を主人公とした架空戦記

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軍記物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 08:31 UTC 版)

平安時代史料の一覧」の記事における「軍記物」の解説

→「軍記物」 『将門記』 『陸奥話記』 この項目は、日本の歴史関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。

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軍記物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 15:39 UTC 版)

戦国時代史料の一覧」の記事における「軍記物」の解説

→「軍記物」 『信長公記太田牛一著 『大かうさまくんきのうち太田牛一著 『明智軍記著者不詳元禄頃の成立明智光秀唯一の伝記。しかし史料的価値は低いとされる。 『浅井三代記『陰徳太平記』 安芸毛利氏中心に中国地方戦国時代描写した戦国軍記17世紀末頃の成立岩国藩家老香川正矩著。毛利元就礼讃傾向が強い。 『大友記』 『奥羽永慶軍記東北地方戦国時代描写した戦国軍記元禄11年成立久保田藩医師戸部正直著。 『蒲池物語蒲池豊庵蒲池氏盛衰記。 『官知論』 加賀冨樫氏加賀一向一揆抗争記した軍記。 『九州治乱記』友玄益著 大友氏を中心とした九州北部軍記。 『江濃記』 『江北記』 『甲陽軍鑑高坂昌信著?小幡景憲甲斐武田氏歴史戦術などを記した軍学書。武田信玄重臣高坂昌信書き残した記録をもとに江戸時代軍学者小幡景憲脚色創作加えたものとされるが、史実大きく異なっている点も多く史料として評価分かれている。 『佐久間軍記佐久間常関著。 織田信長家臣佐久間氏一部柴田氏について桶狭間の戦いから大坂の陣までの記録。 『信長記小瀬甫庵太田牛一著作信長公記』を底本儒教的価値観に基づき創作脚色加えて書いたもの。資料的価値は低いが、江戸時代通して広く読まれた。 『勢州軍記』 『総見記』(『織田軍記』) 『太閤記』 小瀬甫庵豊臣秀吉一代記。『信長記』と同じく創作脚色が多いが、江戸時代大い流布した。 『筑後国史』(筑後将士軍談鈴木一貞著 『土佐物語吉田孝世長宗我部氏興亡描いた軍記物語。 『南海治乱記阿波三好氏中心とした軍記。 『肥陽軍記龍造寺氏興隆描いた軍記実際出来事前後間違い年号間違い、またこれにしか記述のない常識的ではない出来事などが散見される甫庵信長記信長記 『豆相記』 『北条記』『東乱記』『小田原記』『異本小田原記』『関侍伝記』『相州兵乱記』『関東兵乱記』 三浦浄心北条五代記寛永18版、万治2版 『北条盛衰記改題本北条五代実記現代語訳小田原北条記』 『関八州古戦録』 『南藤蔓綿録梅山無一軒相良氏についての軍記。 『北越軍談越後上杉氏についての軍記甲陽軍鑑影響上杉軍学喧伝傾向顕著であり、史料価値高くない。 『北肥戦誌(九州治乱記)』 馬渡俊継著 龍造寺氏中心とした肥前国に関する軍記。 『元親記長宗我部元親についての軍記

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