特殊器台
主名称: | 特殊器台 |
指定番号: | 487 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1993.06.10(平成5.06.10) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 岡山県総社市宮山遺跡出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 土製素焼。基部の下半を除く全体に、赤彩が認められる。円筒状で縦長の胴部に、外反、屈曲する口縁部と基部を取り付けている。 胴部には断面台形状の七条の貼付突帯をめぐらし、これを境に四帯の無文帯と三帯の文様帯を交互に配する。無文帯はいずれも幅九センチ前後、文様帯は幅一四センチ前後である。文様帯には、右上がりの連続渦巻文を描き、それを中心として短小な尾部をもつ勾玉状の円形透し孔と、三角形透し孔を切り抜く。この連続渦巻文は、それぞれ四本から七本を単位とする箆描き沈線文帯で表現される。また、各沈線文帯の間を、さらに沈線文で間仕切り状に区画し、曲線的な文様に直線的なアクセントを加えている。基部付近をやや大きく欠失するが、全体に遺存は良好である。 本件は、宮山遺跡から出土した埴輪の祖形とされる特殊器台である。宮山遺跡は、岡山県総社市の南部、高梁川東岸の三輪丘陵上に所在し、かつては宮山天望古墳といわれていた。昭和三十八年、三輪山遺跡調査団によって発掘調査が行われた。その結果、長軸三八メートルの前方後円状の墳丘墓があり、円丘上には竪穴式石室、墳丘墓周辺には弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての箱式石棺墓、配石土壙墓、壺棺墓からなる墳墓群の存在が明らかにされた。 前方後円状の墳丘墓には、東側のくびれ部付近に葺石【ふきいし】が見られ、また特殊器台、特殊壺の破片も出土した。本特殊器台は、この墳丘墓の方丘裾の位置で、周囲に石を配して棺に転用されていたもので、特殊器台「宮山型」の標式となったものである。 特殊器台は、弥生時代の器台型土器の胴部が極端に伸長し、葬送儀礼における供献用具として独自の変化を遂げたものと考えられ、その分布も吉備地方を中心に限られた地域で出土する。このなかで、本例はほぼ完形であり、文様構成の全容がわかる貴重な資料である。弥生時代から古墳時代にかけての葬送儀礼の一端を示すものとして、その学術的価値が高い。 |
特殊器台・特殊壺
特殊器台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/23 05:36 UTC 版)
基本形は筒形で、アルファベットの「I」字のように、上・下端が大きく外側に拡がっている。上端部の縦幅が15センチメートルに達するものもある。下端部も器台を支えるに十分なような台形をしている。 器台の高さは7、80センチメートルから1メートル十数センチメートルに達するものまであって、普通の器台が20センチメートルから40センチメートルほどであるのに比べ、大変大きい。筒部の径も30センチメートルを超え、さらに40センチメートルを超すものもある。筒部にはタガ状の隆起帯が6から10条ほどめぐり、制作時の補強の役を果たすとともに、筒部自体をいくつかに分割・区分することになる。すなわち、毛糸の束を捻ったようなあるいは波が抽象的に描かれているような弧帯文様、あるいは綾杉文・複合斜線文・鋸歯文などからなるヘラ描沈線文様帯と文様のない横書きの沈線文間帯とが交互に繰り返され、筒部全体を彩っている。このように特殊器台には、縦分割の文様と横に走る文様との二種類がある。文様帯には透かし穴が開けられ、弧帯文様の場合には、文様中心部に巴形、上下に扇形ないし三角形となり、綾杉文・複合斜線文・鋸歯文などの場合には縦長の長方形となる。外面全体と口縁部内面に朱が塗られた痕跡を持つものが多いが、その場合、制作時に粘土の輪を積み上げるごとに塗られたものがあり、制作自体が呪術的儀礼の下に行われたことを示している。使用された粘土には特別なものが選ばれ、また角閃石などがしばしば混入され、焼き上がった後の色相は特有の褐色の地肌をしている。
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