浅茅が宿とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 浅茅が宿の意味・解説 

あさじ‐が‐やど〔あさぢ‐〕【浅×茅が宿】

読み方:あさじがやど

あさじうのやど」に同じ。

「—に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ」〈徒然一三七〉


浅茅が宿

作者上田秋成

収載図書幻想文学館 1 恐ろしい幽霊の話
出版社くもん出版
刊行年月1989.8

収載図書語られると怖い話
出版社ポプラ社
刊行年月2006.3
シリーズ名ホラーセレクション


浅茅が宿

作者峰原うらら

収載図書世にも妖しく恐ろしい雨月物語
出版社青春出版社
刊行年月2000.7


浅茅が宿

作者岡田鯱彦

収載図書薫大将と匂の宮―昭和ミステリ秘宝
出版社扶桑社
刊行年月2001.10
シリーズ名扶桑社文庫


浅茅が宿

作者後藤明生

収載図書雨月物語
出版社学習研究社
刊行年月2002.7
シリーズ名学研M文庫


浅茅が宿

作者橋本治

収載図書蝶のゆくえ
出版社集英社
刊行年月2004.11

収載図書蝶のゆくえ
出版社集英社
刊行年月2008.2
シリーズ名集英社文庫


浅茅が宿

作者中村晃

収載図書怪奇幻想 雨月物語
出版社勉誠出版
刊行年月2005.11


浅茅が宿

読み方:アサジガヤド(asajigayado)

作者 石川淳

初出 昭和28年

ジャンル 古典新釈


雨月物語

(浅茅が宿 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 14:44 UTC 版)

雨月物語』(うげつものがたり)は、上田秋成によって江戸時代後期に著わされた読本(よみほん)作品。


注釈

  1. ^ 第四版は、幕末、大坂心斎橋、河内屋源七郎の出版。四つの版のなかで、一番残存冊数が多い。三冊組に構成されている[1]
  2. ^ 西行の初期の法名。ここで初めて、視点者は西行であることが明かされる。
  3. ^ 原話の「死生交」にも見える。
  4. ^ このころ、後の応仁の乱の原因にもなる畠山政長義就の戦いがおこっていた。
  5. ^ 唐代の李復言の『続玄怪録』に収録された『薛偉』が原典であり、明代に『古今説海』に収録され題が付された。
  6. ^ 古今著聞集』にも見える、実在した画僧であるが、伝未詳。大阪の絵師葛蛇玉がモデルとする中村幸彦の説がある[18]
  7. ^ いくつかの和歌からの引歌でできており、井原西鶴好色五人女』巻三からの影響も受けている[19]
  8. ^ この当時、ブッポウソウの正体だと思われていた鳥はブッポウソウ目ブッポウソウ科に属するブッポウソウ。声のブッポウソウは、フクロウ目フクロウ科コノハズクで、全く別の鳥である。
  9. ^ 未詳。俳諧の心得のあった、秋成自作の句か。
  10. ^ 木村常陸介雀部淡路守、白江備後、熊谷大膳粟野杢日比野下野、山口少雲、丸毛不心、隆西入道、山本主殿、山田三十郎、不破万作紹巴法橋
  11. ^ これも秋成の作か。「みじか夜」が夏の季語。
  12. ^ 西田維則訳『通俗西遊記』「源序」に似た言葉がある。
  13. ^ 中国曹洞宗永嘉大師玄覚の作。「入江を月が照らし、松の木に風が吹く。永遠に続くかのようなこの清らかな夜は、一体何のためにあるのか」という意味。
  14. ^ 瑞草が生え、日は高く昇って輝き、民は家に帰る、つまり、徳川家康の天下となる

出典

  1. ^ a b 長島(1998年)p.50
  2. ^ 高田(1997年)pp.443 - 444.
  3. ^ 大輪(1979年)pp.359 - 360
  4. ^ 高田(1997年)pp.135 - 136, 465 - 469.
  5. ^ 大輪(1979年)pp.315 - 316.
  6. ^ 坂東(1999年)p.1
  7. ^ 高田(1997年)p.451
  8. ^ 長島(1998年)p.51
  9. ^ 高田(1997年)pp.18 - 19.
  10. ^ 長島(1998年)pp.54 - 57.
  11. ^ 西行『山家集』下雑、詞書に「讃岐に詣でて、松山の津と申所に、院おはしまけん御跡尋ねけれど、形も無かりければ」とある歌の二首目「松山の波の景色は変らじを形無く君はなりましにけり」
  12. ^ 前註の、一首目の歌。
  13. ^ 保元物語』「新院御経沈めの事 付けたり 崩御の事」
  14. ^ 『山家集』下雑、「白峯と申しける所に御墓の侍りけるにまゐりて」と詞書のある歌。ここでは、第三句は、「むかしのたまのゆかとても」となっている。
  15. ^ 『三十六人集』「敦忠集」にある歌
  16. ^ 万葉集』巻十四・三三八四「葛飾のままの手児奈をまことかも我に寄すといふ真間の手児奈を」
  17. ^ 高田(1997年)pp.175 - 176.
  18. ^ 大輪 (1979)pp.301, 302。
  19. ^ 長島(1999年)p.184
  20. ^ 古今著聞集』「成光閑院の障子に鷄を畫く事」『成光、閑院の障子に鷄をかきたりけるを、實の鷄みて蹴けるとなん。此成光は、三井寺の僧興義が弟子になん侍りける』
  21. ^ 『風雅和歌集』巻十六・一七八八、詞書は「高野の奥の院へまゐる道に、玉川といふ河の水上に毒虫おほかりければ、此流を飲まじきよしをしめしおきて後よみ侍りける」。本居宣長の『玉勝間』にも、この歌の解釈を試みた文がある。
  22. ^ 『五雑俎』巻五
  23. ^ この描写は『水滸伝』第六回による。
  24. ^ 常山紀談』『翁草』『老士語録』『続近世畸人伝』など
  25. ^ a b 司馬遷『貨殖列伝』に見える言葉。
  26. ^ a b c d 宝塚歌劇90年史 2004, p. 82、84、104.
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 宝塚歌劇90年史 2004, p. 82.
  28. ^ a b c d e f g 宝塚歌劇90年史 2004, p. 84.
  29. ^ a b c d e f g h i 宝塚歌劇90年史 2004, p. 104.
  30. ^ 宝塚歌劇90年史 2004, p. 82、84.
  31. ^ 国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online”. ndlonline.ndl.go.jp. 2022年10月10日閲覧。


「雨月物語」の続きの解説一覧

浅茅が宿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:23 UTC 版)

雨月物語」の記事における「浅茅が宿」の解説

「浅茅が宿」の原拠は、『剪灯新話』 「愛卿伝」と、それを翻案した浅井了意伽婢子』 「藤井清遊女宮城野を娶事」である。戦国時代下総国葛飾郡真間郷に、勝四郎と妻の宮木暮らしていた。元々裕福な家だったが、働くのが嫌いな四郎のせいで、家勢はどんどん傾いていき、親戚からも疎んじられようになった。勝四郎発奮し、家の財産全て絹にかえ、雀部曽次という商人と京に上ることを決める。宮木説得した四郎秋に帰ることを約束して旅立っていった。関東そのうち享徳の乱によって乱れ乱れることになる。宮木美貌惹かれた男共が言い寄ることもあったが、これを断るなどして、宮木心細く夫の帰り待ちわびる。だが、約束秋になっても、勝四郎帰ってこないのだった一方夫の勝四郎は京で絹を売って大儲けをした。そして関東の方で戦乱起きていることを知って急ぎ故郷帰る途中木曽山賊襲われ財産全て奪われてしまった。また、この先には関所があって、人の通行許さない状態だと聞く。勝四郎宮木死んでしまったと思い込み近江へと向かった。ここで勝四郎は病にかかり、雀部の親戚児玉の家に厄介になることになる。いつしかこの地に友人もでき、居つくようになり、七年月日過ぎた近頃近江や京でも戦乱がおき、勝四郎宮木のことを思う。そして、故郷帰ることにした。十日余り着いたのは、夜になってのことだった。変り果て土地の中、やっと我が家辿り着いた。よく見ると、隙間から灯がもれている。もしやと思って咳をすると、向うから「誰(たそ)」と声がしたのは、しわがれてはいるけれどまさしく妻、宮木のものだった。 扉の向うから現れた妻は、別人かと思われるほど、変り果てた姿であった宮木は勝四郎帰ってきたのを見て泣き出し、勝四郎思わぬ展開に動転するばかり。やがて、勝四郎はことの経緯宮木は待つつらさを語りその夜はふたり、ともに眠った次の朝勝四郎目が覚めると、自分廃屋にいることに気づいた。一緒に寝ていたはずの宮木の姿も見えない。勝四郎はやはり妻は死んでいたのだ、と分り、家を見て回っていると、元の寝所に塚がつくられているのがあった。そこに、一枚の紙があった。妻の筆跡で歌が書いてある。「さりとも思ふ心はかられ世にもけふまでいける命か」これを見て四郎改めて妻の死を実感し伏して大きく泣いた。妻がいつ死んだのか知らないのは情けない話だ、事情知っている人に会おう、と外に出ると、すでに日は高くなっていた。 近所の人に聞いて、ひとりの老人紹介してもらった老人は、勝四郎も知る、ここに古くから住む漆間の翁であった。漆間の翁は、勝四郎がいなくなったあとの戦乱乱れたこの土地様子宮木気丈にひとりで待っていたが、約束の秋を過ぎて次の年の八月十日死んだこと、漆間の翁が弔ったことを語り、勝四郎にも弔いすすめたその夜ふたりで、声をだして泣きながら念仏をして明かした。そして、漆間の翁がこの土地に伝わる真間の手児女伝説を語るのを聴いて、勝四郎一首詠んだ。「いにしへ真間の手児奈かくばかり恋てしあらん真間のてごなを」この話は、かの国に通っている商人から聞いたのである

※この「浅茅が宿」の解説は、「雨月物語」の解説の一部です。
「浅茅が宿」を含む「雨月物語」の記事については、「雨月物語」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「浅茅が宿」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浅茅が宿」の関連用語

浅茅が宿のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浅茅が宿のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの雨月物語 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの雨月物語 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS