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おうにん-のらん 【応仁の乱】
防府歴史用語辞典 |
応仁の乱 (おうにんのらん)
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応仁の乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/01 05:07 UTC 版)
応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの11年間にわたって継続した内乱。8代将軍足利義政の継嗣争い等複数の要因によって発生し、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊(出家して山名宗全)らの有力守護大名が争い、九州など一部の地方を除く全国に拡大した。乱の影響で幕府や守護大名の衰退が加速化し、戦国時代に突入するきっかけとなった[1]。
応仁元年(1467年)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦乱期間の大半は文明年間であったため応仁・文明の乱(おうにん・ぶんめいのらん)とも呼ばれる。
- ^ 応仁の乱以後を「戦国時代」とするのが従来の説である。しかし応仁の乱以降、室町幕府が衰退しつつも影響力が一応維持されていたと考えられている。このため、明応の政変(明応2年(1493年))以後を戦国時代とするのが現在では有力な説の一つとなっている。
- ^ 家永遵嗣「軍記『応仁記』と応仁の乱」、『室町幕府将軍権力の研究』
- ^ しかし、義尚が生まれる以前から宗全は諸大名との派閥を形成していた上、義尚ではなく義視と結びついていたとする動きがあるため、後見人の話は応仁記が書いた誤りとの指摘もある。石田晴男『戦争の日本史9 応仁・文明の乱』182p - 190p
- ^ 当時の名は義夏
- ^ 桜井、277p
- ^ 桜井、297p
- ^ 桜井、294p
- ^ 石田、147p - 157p、165p - 174p、182p - 185p
- ^ 石田、160p - 165p、177p - 179p、川岡勉『室町幕府と守護権力』109p - 111p
- ^ 永原、261p
- ^ 桜井、298p
- ^ 吉田、338p
- ^ 吉田、336p
- ^ a b 桜井、305p - 306p
- ^ 石田、209p - 210p
- ^ 永原、265p
- ^ 永原、266p
- ^ 尋尊大僧正記
- ^ 義政は大乱の元凶は両畠山氏の騒乱にあるとする姿勢を保ち、5月と9月に義就の河内下向で事態の沈静化を図った。しかし、その義政が家督交替に関与していて、東軍に取り込まれて中立姿勢を取っていない以上停戦命令は無意味であり、戦争の解決に繋がらなかった。石田、210p - 216p、224p - 225p
- ^ 石田、240p - 244p
- ^ 桜井、309p
- ^ 桜井、309p
- ^ 桜井、309p
- ^ 桜井、312p
- ^ 石田、256p
- ^ 桜井、313p
- ^ 永原、327p
- ^ 永原、277p
- ^ 桜井、316p - 317p
- ^ 永原、278p
- ^ 桜井、302p - 303p
- ^ 文明7年、能登守護畠山義統と越後守護上杉房定が政長の分国越中を侵略した際の言葉。桜井、312p
- ^ 吉田、338p - 341p
- ^ 桜井、304p
- ^ 永原、320p
- ^ 西軍の主将義就に一千貫を貸し付けている。尋尊大僧正記文明9年7月記録。
- ^ ただし、規模がはるかに小さいものの幕末に3万戸以上を焼いた武力衝突事件である禁門の変を最後の戦争とみなす意見もある。
- ^ また室町幕府も明応9年をはじめ、以後の祇園祭に度々介入して主導権の回復を図り実際に戦国時代初頭には幕府の命令による祇園祭の延期や年2度開催が度々行われた。本当の意味での町衆による祇園祭開催が可能になったのは、天文2年(1533年)の幕府の延期命令に対する町衆の反対運動以後と考えられている。
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