李復言
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李復言(りふくげん)は中唐の文士。伝奇小説集『続玄怪録』の著作があり、同集の現伝諸則から、憲宗の元和から宣宗の大中に掛けて(およそ西暦9世紀前半)に在世した人物とされるが不詳。『続玄怪録』中の「張質(ちょうしつ)」[1]の末では作者自身に擬せられる彭城県の知事李生が元和6年(811年)にこの話(張質)を聞いたとあって、また「辛公平上仙(しんこうへいじょうせん)」[2]の末でも文宗の太和初年(820年代末)に李生が同県の知事であった時にこの話(辛公平上仙)を聞いたとあり、「張老(ちょうろう)」の末では太和の初めに塩鉄院を司った(塩鉄使?)李公が「余に命じて」この話(張老)を記録させたとあり[3]、「尼妙寂(にみょうじゃく)」[4]の末尾では、復言は隴西の出で太和4年(830年)に巴南に遊び、そこでこの話(尼妙寂)[5]を聞いたと述べている。
- ^ 宋刻4巻本『続幽怪録』巻2所収、『太平広記』巻380所引。
- ^ 宋刻4巻本巻1所収。
- ^ 明陳応翔(ちんおうしょう)刻4巻本『幽怪録』巻1所収。この則は太和の初め云々の末1条を欠いているものの『太平広記』巻16に「続玄怪録に出づ」として引かれており、それと照らし合わせて元来は『続玄怪録』中の1則であったと考えられている(後掲溝部良恵「続玄怪録(抄)解説」)。
- ^ 『太平広記』巻128所引。
- ^ 恐らくは李公佐の『謝小娥伝』か、その材となった事件の話。
- ^ 今村与志雄訳『唐宋伝奇集(下)』(岩波文庫、1988)の「同宿の客(辛公平上仙)」訳注。
- ^ 卞孝萱説。与志雄前掲訳注に拠る。
- ^ 晁公武『郡斎読書志』。
- ^ 諒が代宗の大暦10年(775)の生まれなのに対し、僧孺は徳宗建中元年(780)の生まれで貞元21年(805)の進士。
- ^ 「麒麟客」(宋刻4巻本巻1所収、『太平広記』巻53所引)。諒は太和7年(833)卒という(前掲孝萱説)。
- ^ 溝部良恵『広異記・玄怪録・宣室志他』(中国古典小説選6)「続玄怪録(抄)解説」、明治書院、2008年。
- ^ 程千帆説。与志雄前掲訳注に拠る。
- ^ 前掲良恵解説、与志雄訳注。
- ^ 黒田真美子『枕中記・李娃伝・鶯鶯伝他』(中国古典小説選5)「唐代伝奇について」、明治書院、2006年。
- ^ 李剣国説。良恵前掲解説に拠る。
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